雨霞 あめがすみ

過去に書き溜めたものを小説にするでもなくストーリーを纏めるでもなく公開します。

水色の日傘--35

徳田が二塁に居るところから試合再開。高田はそこそこは打てるので一応は得点のチャンスだ。

萩野が腰を下ろして構えながら一声発した。

「ようやく秘密会議終了や、気い入れ直すでえ」

二三回バットをユラユラさせて、ヤレヤレと言う感じで高田もジョークを垂れた。

「篠田と浜田のひそひそ話て、想像もできんな、何が起きるんや」

私はさり気なく躱した。

「ええからええから、そのうち素晴らしいことが起きるで」

高田はニヤニヤしながら首を傾げた。

 

橋田はグルグルと二三度腕を回して、例の金田ポーズで手首をクラクラさせて萩野の構えを見た。サインなどという上等なものはない。ただミットの位置とカーブか直球。

高田が茶化す。

「あいつ金田に似せて、いっつも構えだけ一人前や」

萩野が応じる。

「舐めたらあかん、橋田は前とは違うで。あっと言う間に精神年齢が五つくらい上がったんや」

「今まで幼稚園やったんか」

言っている間に橋田が投げてきた。やや高めのやや外。打てる球だったが話しながらのバッターボックス故タイミングずれして高田は見逃した。

私は声高く宣した。

「ストライーク!」

萩野が笑った。

「ほら見い、ぼーっとしてるからや」

「お前がうるさいからやろ」

二球目が似たようなところに来た。さっきより更にちょっと外だ。高田は中途半端に振って辺り損ねのファースト側のファールフライになった。井筒が追ったがもとより捕れない。バウンドしたボールは公衆トイレの裏側に転がって行った。

「臭いとこ打つでほんまに。井筒も可哀そうやがな、なんか付いてたらどうすんねん」

ムカつきつつ高田が応じた。

「球の行き先なんか知らんがな、便所の裏になにがあるんや、もう黙っててんか」

萩野は黙らない。

「あの辺はなあ、なーんかジメジメしててな」

トイレの裏には汲み取り口があるし、いつも日陰になっているのでジメッとしている。皆それを知っている。しかしだからと言ってどうというほどのことはない。

ボールを探していたのかやや時間があって井筒が出てきた。トイレの壁に何度か球をぶつけている。

萩野がまた言った。「ほら見い、なんか付いてたんや」

高田はブスッとして既に応じない。私は井筒に向かって叫んだ。

「井筒、どうした、なんか付いてたんか」

何か言っているが井筒は声が小さい。橋田が近寄って球を受け取る。その橋田がボールを突き上げてこっちに向かって叫んだ。

「なんでもない、ちょっと泥が付いてただけや」

すました顔で橋田はちょっとだけボールを手で揉んで三球目を投げた。ややインコース高め。高田は今度は思い切り振った。

ポンと音がして、当たり損ねのサード側のファールフライになった。が、その瞬間高田が思わずペペッと唾を吐いた。

フライは桜井が難なく捕ってツーアウト。高田は手の甲で口の辺りをぬぐっている。

萩野が声をかけた。「どないしたんや」

「打った瞬間土が跳ねよったがな」

「ああ、あの辺のな、まだボールに付いてたんやな、汲み取り口の横のジメッとしたとこの、時々白い粉振ったあるし」

「なんや白い粉て」

「汲み取った後に撒くやろがい、なんちゅう粉が知らんけど」

「汚いこと言うなや、ええから黙れ。審判注意せえや」

言われて私は一応の注意をした。「萩野、試合に集中するように」

「はいはい分かった分かった。でもな、野村(南海ホークスの捕手)でもぶつくさ喋りながらやってるっちゅうやんけ、黙っとかなあかんいうルールはないで。それに俺はこの方が集中力出るんや。三日くらい前に判明したんや」

「なんや三日くらい前て。あのな、あんまりやり過ぎはあかん。審判としても苦情がきたら困るがな」

いずれにせよとにかくきょうの萩野は変だ。徳田が怒鳴り込んできたときはあんなに怒っていたのにいつの間にかチャラケル方に変わっている。わざとの作戦らしくはあるのだが…。

 

高田は口の中がまだ気味悪いのか何度も拭ってぺっぺとやりながら下がった。

それを眺めていた次のバッター岸下はボールの交換を要求した。

「もひとつあるんやからそっち使おうや」

私は了解した。高田には悪いことをしたような気もしたが。

萩野がまた囁く。全然懲りない。

「岸下、味なことをするやないけ、ボールの交換要求なんか、大選手やないとできひんのやで」

岸下は意に介さない。

「悪いなこんなひよこで」

岸下は案外と肩が強いのだが他に目立ったところがない。守備はやや上手いかなとも言えるが、他の運動神経は特に良いようには見えない。性格も妙に醒めていて成績もパッとしないと想像されている。顔だけ見ていると賢そうなのにと担任に嫌味を言われたことがあったそうだが全然反応しなかったらしい。ああそうでしょうよという感じなのかも知れない。私は嫌いではなかった。

 

そんな岸下を舐めるように橋田がスローボールを投げてきた。

岸下はぼんやり眺めるように突っ立っていたが突然思い出したようにバットを出した。パコンといい音がして鋭いライナーがファースト側に飛んだが、井筒がすっ飛んでこれをどうにか捕った。

塁審の悟君が右手を振り上げてアウトを宣した。井筒でなければ完全にヒットの当たりだった。醒めている岸下もさすがにちょっと残念そうだった。

セカンドから戻ってくる徳田が岸下に声をかけた。

「岸下、ええ当たりやったな」

徳田にそう言われて岸下はちょっとばかり戸惑いはにかんだ。

「おおきに、そやけど取られたらいっしょや」

「そうでもないで、結果はしょうがない。けど、あれでええんやあの当たりで」

そう言って徳田は岸下の背中をポンと叩いた。

走っていく徳田を岸下はぼんやり見送った。

「あいつどうしたんや、嫌な奴やと思うてたけど…」

 

続きます。