
それはふりかえってみると実際悪夢のようでした。この四月に水道の漏水が判明して、それを、やや乱暴な業者でしたが一応直してもらって、床板は破れてしまったけどしょうがないなと胸に収めて、その後は問題は片付いたと思って安心していた7月の夜の大雨での思わぬ漏電でした。とにかく漏水を直したのだから、以後は床下の乾燥に努めよう、そう思ってファンを回していたのです。これが水に浸かってしまったのです。
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それはふりかえってみると実際悪夢のようでした。この四月に水道の漏水が判明して、それを、やや乱暴な業者でしたが一応直してもらって、床板は破れてしまったけどしょうがないなと胸に収めて、その後は問題は片付いたと思って安心していた7月の夜の大雨での思わぬ漏電でした。とにかく漏水を直したのだから、以後は床下の乾燥に努めよう、そう思ってファンを回していたのです。これが水に浸かってしまったのです。
続きを読む長い話ですが手短に。
もう三四年も前になるか、寒い時期に水道管が破裂したことがあって、これを修復するのに地面を掘りました。勿論自分で埋め戻したのですが、その部分は随分柔らかくなってしまいました。何故かその頃から、床板が頼りなくなってきたのです。このことを近所で話すと、家は古いからうちもそうよ、とかの話しでした。老朽化なら仕方がない。
と思っていたのですが、それが冗談事じゃなくなりました。まさかと思って調べてみると水道のメーターが回っていました。ゲッと思ったのですが、しかしあれ以来メーターはマメに調べていて、ほんの二か月ほど前は回っていなかった。
続きを読む実はちょっとした厄介ごとがあって、その対処に追われていて、今少し更新ができなくなっております。厄介ごとというのは住まいのことで、もうかなりの築年数なので、先日の大雨続きであれこれとボロが出てきたのです。これは放置不可な状態であって、私自身の勘違いもあって、問題を認識するまでにやや時間がかかりました。
幸いホームセンターが住まいの近くにあるので、セメントやパテや工具など、思いついたら買ってきて色々とやっています。夜中に泥だらけになって、うっかり怪我をしてしまったりで、念のために破傷風のワクチンをうってもらいました。
あまり詳しくは書かないですが、作業は今少しかかる見込みです。その間小説はちょっとお休みをいただきます。今ごろになってなんでこんな苦労をするかなという感じなのですが、こればかりはしょうがないですね。まだ身体は動くので、或いはこれでも幸いだったかも。
私は今の住まいに来るまでにその候補地をあれこれ考えまして、一旦は千葉の山武とか八街とか東金大網辺りを考えていました。あの辺は今回の大雨でどうなっているでしょうか。千葉は凄い被害がでました。その報道を眺めて、住宅見学にあの周辺をあちこち歩いたことを思い出します。
被害に遭われた方々にお見舞い申し上げます。
アパートの道路向かいに割と大きな公園があった。名前など当時から知らない。気にしたこともなかった。子供の世界は面白いもので決して正式な名前で呼ばない。丸公園とか三角公園とか勝手な名前を付けていた。だがこの公園はアパートの目の前にあるのでただの公園としか呼ばなかった。
公園の位置というのは基本的に変わらない。大きな公園であればなおさらだろう。街割りは単純で、記憶をすり合わせる程のこともなく、別に探すほどのこともない。場所はここに間違いない。大阪市城東区古市の外れ。東隣は鶴見区になるそうだが、周辺はとにかく埃っぽい空き地と巨大なゴミの山とその向こうのレンコン畑ばかりが記憶に残っている。
続きを読むわざわざホテル泊まりにしたのは、無論その方が気楽だったからだ。あの叔母たち、特に下の叔母と一緒じゃたまったものじゃない。対面が済めば別に大阪でするべきことはないがせっかくの大阪だ。良い思い出はあまりないが、それでも幼い日々を過ごした街はそれなりに懐かしさもある。仕事に関して特に急ぎが入っている様子もないようなので、昔をのんびり歩いてみるかと思った。
京阪電車はその本来を京阪電気鉄道といい、俊一が子供だった頃は天満橋が大阪側の起点で、そこから京都を結ぶ短い路線だった。京都側は詳しく知らぬが大阪側は早くに淀屋橋まで延長されて、京橋と天満橋の間には片町という駅があり、付近には別に国鉄の片町駅があって片町線という路線の起点だった。片町線はその後学研都市線と呼ばれているようだ。京橋で大阪環状線と接続されており、いつ作られたのかわからぬような古い車両でのんびりと田舎の風景のなかを走っていた。
続きを読む「まあまあ、来たばっかりでお茶も飲まんのに、あんたもそう言うてやりなて。俊一さんも全部の苦労背負い込んだみたいなもんや。事業言うても俊一さんが始めたわけでもないし、世の中はしょうがないことがあるからね。俊一さんもとうとう世帯も持たんまま幾つになったん。え、もうそろそろ六十? へえもうそうなるんかいな。今度は自分の老後も心配せなあかんしね、仕事はいつまでできるのか知らんけど、これからも大変やね」
上の叔母が穏やかな口調で下の叔母を制した。下の叔母は難しい顔をしたまま黙っていた。
そろそろと言うより既に老後に達している。今後の収入は俊一の稼ぎしかない。自分一人ならどう転んでもたいしたことはない。しかしこの二人の叔母には借りがある。それを本来は先に返すはずだったのに後回しにさせてもらった。自分にだってそれなりの貯えが要る。ゼロで生きるというわけにはいかない。叔母たちへの返済もまだかなり残っている。甘えさせてもらったというしかないのだった。これからはその返済を少しずつでも続けながら生きる。今までだって稼いだお金が自分のことに使えたことはほとんどない。年金は繰り上げて受け取ることにしているが、それを全て返済に回すか。こうやって話している間も、頭の中はグルグルとしている。自分はいつになったら完全に開放されるのか。しかし現実はそれさえ言えない。何しろ二人の叔母も上は80、下は77なのだった。
続きを読む年齢的に手術は難しい。医者から説明を受けて俊一も覚悟を決めた。来るものはいきなり来る。ほんの一週間二週間前には考えもしないことだった。二か月ほどは痛み止めを使って自宅で過ごし、しかしその効果も遂になくなって救急車で運んだ。
意外にも母は長く持ちこたえ、入院三か月にもなろうとしたときに何度も病院から電話が入るようになった。その都度かけつけるが、その日は持ちこたえを何度も繰り返した。そしてついにその日がきた。三月の雪の降る朝だった。
まだ意識がはっきりしていた時、母は俊一の顔を見て泣いた。顔が皺くちゃになっていた。その後はずっと寝ているばかりになった。そしてその朝を迎えた。
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