雨霞 あめがすみ

過去に書き溜めたものを小説にするでもなくストーリーを纏めるでもなく公開します。

水色の日傘--53

私はママさんのことが気になったから、もしかしてまた来ていないだろうかと、その後も篠田と公園を訪れたが姿を見ることは遂になかった。そのまま夏が終わった。

こんなことがあったのに篠田とも以後特に親密になることもなく極普通の付き合いになった。元々クラスが違っていたしそれまでは言葉を交わしたこともろくになかったから、それは普通の成り行きだったろう。

この夏を最後に、私の小学生時代の夏の記憶はほぼなくなっている。多分、平凡な日常になってパッとしない日々を過ごしたのだろう。特別記憶に残るようなこともなかったのだと思われる。

中学生になると、もうこの夏の記憶は普段の頭になかった。中学校では私が通った学校ともうひとつ別の小学校の卒業生を統合する形になっていたから、それらがクラス配置されて新たな友達ができた。当初はお互いに様子を窺うような雰囲気だったが、直ぐに打ち解けた。初めて見るような面白い奴も居た。子供はそうやってドンドン別の世界を作っていく。篠田は確か二年生になる頃にどこかへ転校して行ったのだった。

私は小学生時代と同様あまりパッとしないガキタレで、クラスの人気者になることもなく成績は更に冴えないしで今振り返っても情けない日々だった。特別面白いこともなかったので学校関連で記憶に残っているようなことはあまりない。

覚えているのは宿題を忘れて(と言うより知っていて無視していた。私はそんな子供だった)廊下に立たされたとかの情けない記憶ばかりだ。ただ、クラスに漫画の上手い奴が居て、そいつがサークルを作ろうと誘ってくれたのが切っ掛けで漫画を描くようになった。美術の授業など興味の欠片もなかったが、元々絵を描くのは好きだった。漫画もそいつに比べると下手も良いところで全然パッとしなかったが、ペンで図を描くことに馴染んで、結局はその延長での仕事に携わることになった。まったく何が切っ掛けになるか知れない。

いつの頃からか急にレーシングカーなるものが流行して、少ない小遣いをどうにかして貯めて玩具のような二流メーカーのモデルを買って皆に笑われていた。立派なものが買えないので自分はそうするしかなかったが、それでも一時は没頭した。楽しい思い出と言えばそれくらいのものだったか。流行はしかし長くは続かず、サーキットもあっという間になくなった。

精々そんなことで一年が平凡に過ぎて二年生の夏休み、公園の周りで催される夜店を訪れて人混みに紛れてぼんやりと歩いていた。ブラブラしている内にたいてい見知った誰かと遭遇するので連れだって楽しむのだった。夜に仲間と群れるのは大体楽しい。ちょっとばかり気になっている誰かさんを見かけないかと、そんな期待もあった。

 

そんな時、人混みの中を歩いていると、ふいに後ろから声をかけられた。

「ぼん、あの時のぼんやないか」

振り向くと見覚えのあるオッサンがニコニコして近寄ってきた。どこで見かけた人だった。

「ほら、あの時かき氷一緒に食べたやろ」

「ああ、あの時の…」

公園で草野球をしていたメッキ会社の工場長だった。咄嗟に思い出した。かき氷をこの人に奢ってもらったのだった。

「どや、元気にしてたんか」

「はい、あのときはごちそうさまでした」

「わっはっは、えらい記憶ええな」

「勉強はあかんけど記憶力はええんです」

すっかり忘れていたのに適当なことを言った。

「わっはっは、そうかそうか」

と高らかに笑って工場長は続けた。

「あんたら、かき氷売ってたあの若いお母さんを手伝うてたんかいな」

「そうです、子供連れて商売してはって大変そうやから、ちょっとでも売り上げがあがったらええなと」

なるほどそうかと頷いて工場長は「どや、タコ焼き食べるか、奢るで」と突然言った。

「うわ、ほんまですか」と嬉しくなり、工場長が景気良く大量のタコ焼きを注文して待っている間、さすがに大人は買い方が違うと感心した。何故か知らぬが夜店のタコ焼きの上手さは堪えられないものがあった。

 

大盛の船に盛った沢山のタコ焼きを抱えて二人して公園のベンチに座った。あの時のベンチが斜め向かいに見える。

「ようけ食べや」

そう言って工場長は自らも景気良く口に頬張って、しばらくモグモグしたあとポツンと呟いた。

「あれから君らどうしたんや、ずっとかき氷手伝うてたんかいな」

「それやけど…」

私はちょっと声を落としてその時の経緯を教えた。以後全くママさんの姿を見ないと。

「ほーん、お巡りがなあ…」

工場長は口だけモグモグさせながらぼんやりと中空を眺めていた。

「それでちょっと気になったこともあるんです」

私はママさんが氷を仕入れての帰り、遭遇したどこかのオバサンに何度か頭を下げていて随分謝っている様子だったことを伝えた。

「あのオバサンと何か因縁があって、それで通報されたのかとも思うたんですけど」

工場長は私の顔に視線を向けて訊いた。

「そのオバハン、どんな顔しとった」

「どんな顔て…」

「太ってたか痩せてたか」

「痩せたオバサンです。そや、漫才のお浜小浜さんのお浜さんにちょっと似てたかな」

「お浜さんな…」

工場長はしばらく黙り込んだ。何か考えている様子だった。

 

続きます。