雨霞 あめがすみ

過去に書き溜めたものを小説にするでもなくストーリーを纏めるでもなく公開します。

水色の日傘--42

コースは真ん中だがやや低め。高さは吉田のつもりとはちょっと違った。しかし出かかったなにかみたいな話で、もう止まらない。普通なら見送るだろう球を、吉田は腰を屈めるようにして短く持ったバットを鋭くぶっ叩くような感じで振った。

パコン!と音がして球は橋田をめがけて飛んだ。低い弾道で一瞬橋田には見えなかった。その僅か手前で一旦バウンドした球は橋田の左肩ををめがけて飛んできた。

うわっ!と叫んで橋田が咄嗟に突き出したグラブに当たった球は弾んでファースト側に転がった。

「走れぇ!」

三組全員が叫んだ。ファールグランドまで転がった球を井筒が追いかける間、吉田は尻に火が着いたように走った。

よろけた橋田が体制をとり直してファーストのカバーに走ったが井筒は球を送らなかった。吉田はそのまま走り抜けた。間に合うタイミングではなかった。

「ええぞええぞ吉田」

皆が喝采を叫んだ。徳田が特に大きな声を張り上げていた。吉田は右拳を持ち上げてそれに答えたが徳田の声などどうでも良かった。三組女子の声援を全部自分に集まっているような興奮を感じた。女子たちの声援を受けるなど、吉田にとっては一生に一度かも知れなかった。

「まぐれやまぐれや」萩野が橋田に向かって叫んだ。「宝くじも当たる時があるんや」

井筒がちょっと橋田に歩み寄ってボールを渡しながら大丈夫かと訊いた。

ノーアウト一塁。吉田はしかし、意外に俊足だった。しかも次は四番の徳田だ。ホームランでなくても長打で充分ホームインの可能性がある。一点差が守れるか。これは既に四組のピンチだった。

 

いよいよ徳田の見せ場が来たのだ。徳田はボックスに入る前に二度三度と素振りをくれて、一瞬チラッと水口の居る方を見た。女子たちの居る付近は訪れたママさんと篠田が店を広げている。

「ゲームが終わったら氷食べよや、もちろん、今から食べてもええんやで」

そんな篠田の弾んだ声が聞こえてくる。

それを取り囲むように話すのもあればゲームに視線を送る女子もあった。水口はある時はあっち、ある時はこっちと居場所を変えて誰それと話していたが、徳田はぬかりなく悟られぬようにそれを目で追っていた。ゲームに神経を使うなかでなかなか器用な奴だ。そんな徳田を隙なく観察している私もなかなかのものだと自分で思った。

女子たちの注目はややママさんたちに逸れていたが吉田の出塁に皆が注目した。徳田にすれば、ここはどうでも自分のバッティングに注目してもらわねば困るのだった。

 

徳田は萩野に向かって言った。

「萩野、この前、いきなりお前のクラスに入って挑戦的なことを言うたけど、それは謝る。俺もあの時はついカッカしてた。けど、きょうは正々堂々の勝負や、水に流してサッパリ行こや」

映画のセリフのようなその声は萩野ではなく水口に聞こえんとばかり高らかだった。

萩野は覚めていた。

「え、まあ、それはそやけどな」

徳田は続けた。

「俺は橋田なんかと勝負はしてない、お前と勝負してるのや。ここで点を取れなんだらこっちの負けや。どん詰まりやがな。ここで小手先の勝負はしとうない。男と男の勝負や」

えらい粋がっとるな--腹の中で萩野は思ったが、それは顔に出さず「いやまあ、それはそやけど、こっちは普通にやるだけで…」

徳田は応じた。

「わかってるがな、俺の挑発に乗ったらあかん。ええ心掛けや。そやけどここで逃げるような真似はしてほしないで」

「なんや逃げるような真似て、敬遠のことか」

「それもある。そやけどぬらりくらりと逃げるような球を放らすなと言うてるのや」

「なに言うてんねん、そんなもんこっちの勝手や」

さすがに萩野は膨れた。

「まあええ、あいつが俺にどこへ放っても似たようなもんや」

あほくさ--萩野は腹の中で笑ったが、しかしピンチはピンチだった。これまでの徳田の打率から考えて長打はともかくヒットはある程度覚悟しなければならない。かと言って敬遠という訳にも行かない。後ろのバッターでという作戦はあってもこれはメンツの問題だった。徳田をそれ程恐れたと言うのでは萩野にしてもこの試合の意味がないのだった。

 

萩野はタイムを要求して橋田の元に駆け寄った。

「物凄い打つ気満々や。上手いことはぐらされへんかな」

「緩い球でも放るんか」

話しているところへ井筒もセカンドの福永もサードの桜井もやってきた。井筒は言う。徳田は絶対に歩かない。打って結果を出したい。かなりの球も振る。井筒はまるで徳田の事情を知っているかの如くだった。

マウンドに集まっている四組メンバーを見て徳田は満足だった。要するに俺に怯えているのだ。これが水口に理解できるだろうか。

「こんなところで敬遠されたら話にならんわ」言いながら徳田はまた水口の方にチラチラと視線を送った。

私は知らぬを装って徳田の顔を見ながら問うた。「どないしてん、あっちに気になることでもあるんか」

徳田はとぼけた。「いや別に、かき氷の店かなと思うてな」

「そやがな、気になってるくらいやったら、試合終わったら皆で食べよや」

「う、うん…」

とぼけた手前、徳田は頷くしかなかった。

「それより、長いやないけ」徳田は話を逸らせた。

「そやそや、おーい、もうええか」

私はマウンドに向かって手を挙げた。萩野はチラッと振り返って橋田の肩をポンと叩いて戻ってきた。作戦は決まったようだった。

 

続きます。