雨霞 あめがすみ

過去に書き溜めたものを小説にするでもなくストーリーを纏めるでもなく公開します。

水色の日傘 17

三組のキャッチャー長谷川は、体が平均より一回り以上大きい。しかも太り気味だ。あれこれと言葉を発する性格でなく、私からも距離のある存在だった。同じクラスになったこともなく、あまり言葉を交わしたこともない。

そんなのがどうして野球チームに入ってキャッチャーをやっているのか不思議だった。能動的な性格には見えないから、彼が投球を組み立てているようには見えないが、キャッチングは意外にうまく、なかなか後ろに逸らさない。そんな彼だから何が来てもストライクに見える。そこを計算に入れて置かねばと私は思った。

長谷川は更にバッティングも上手い。体が体だから距離も出る。太っていて足が遅いのでホームランにはならなかったが、前回も大きいのを二本飛ばしている。ちょっと得体の知れない存在だった。

しかし萩野は親しいようだった。

「長谷川、三組のほんまのホームランバッターはお前や。これから打ち方教えたるがな」

長谷川はしかし「はーん?」という顔をしていた。

 

 バットを握り直した萩野は特に短くも持たず、打ち気満々で立った。

一応は緊迫する場面だ。三組は一点は覚悟して走者をなくす考えだ。ここでさらに一点追加ならそれで良いと四組全員は考えているかも知れぬが萩野はデカイのを狙っていそうだ。ツーストライクを取られるまでは強振するつもりだろう。

一球目、福田はインハイに投げた。萩野は大袈裟に仰け反って避けた。ボール。

萩野はおどけていた。

「危ないとこ投げるでほんまに、それでよう他人のこと言えるで」

先程の橋田の投球に対する浅丘の文句へのお返しだった。

二球目は外寄り低めだった。萩野は見逃した。ボール。左右に散らす橋田と同様の投球だ。

三球目は山なりカーブ。やや外へ流れたが、私はストライクを宣した。萩野はジロッと私を睨んだ。

そして四球目、インコースに入ってきたストレートを萩野は待っていたように強振したがファールになった。そのファール球を徳田が拾えずに後ろに転がった。強い当たりだった。

「惜しいとこやな」言いながら萩野はもう一度股ぐらでバットをゴシゴシとやって構え直した。

次も似たところへ来た。萩野はもう一度強振した。しかし打球はやや詰まってレフトへ飛んだ。新井がラインギリギリのところでこれを捕りホームへ投げたが、間に合わなかった。福永が駆け込んで四組にもう一点が入った。

 しかし萩野は悔しがった。「惜しかったな、力んでしもたわ」

 「ええんや、ええんや、これでええ」徳田が右手を挙げてドンマイを示した。

加点されたがツーアウトランナーなし。三組としてはここから仕切り直しだ。

 

五番の黒田がボックスに入った。黒田はなんとなく冷めた性格で、子供のくせして世の中斜めに見ている風なところがあった。それで嫌なタイプかというとそうでもない。妙に面白いところがあった。チームに入っているくせに、得点差が付いて負けが濃くなると途中で帰りたくなるタイプだった。前の試合だって、やる気があるのかないのかわからない感じでやっていた。

「きょうはあかんで、帰ろやもう」何度かそんなセリフを吐いていた。だから守備位置にも打順にも拘らない。

そんな黒田がキャッチャーの長谷川に言った。

「なんでもええから、あんまり危ないとこ投げさせて当てんといてくれや」

長谷川の反応はまたしても「はーん…」

塁は空になっている。黒田はここから一騒動起こすタイプには見えない。現にボックスに立っていても眉を波打たせて--しょうがないなもう--という感じの、やるせない顔をしている。

その雰囲気を知っている福田は、今回も不用心にいきなり気の抜けた球を投げてきた。真ん中高め、見逃せばボールだったが、黒田は大根斬り風に強振した。

出会い頭としか思えぬような跳ね返りで球は左中間の深いところに飛んだ。

黒田はまさかという感じで振り返って呆然としていた。

萩野が叫んだ。「走れ!走らんかい阿呆めが」

「そやそや」とばかりに黒田は走った。球はレフトの新井とセンターの高田が追うさらにその向こうに落ちて、バウンドを繰り返しながら転がっていく。

足の速い高田が追いついた時には黒田は三塁間近に達し、グルグルと腕を回す萩野を見てそのままホームに駆け込んだ。

球は返ってきたが間に合わなかった。私は腕を広げて声高らかに宣した。「ホームイン!」

ランニングホームランだった。

四組女子からやんやの喝采。「黒田くん、やるやんか!」の声が飛んだ。

萩野が黒田の肩を抱くように手を回した。「お前、どうしたんや」

黒田は笑いながら首を傾げた。

「わからん、早よ終わってほしいから思い切り振ったら当たったがな」

「なんやそれ」と言いつつ萩野は黒田の肩をポンポンと叩いてダジャレを飛ばした。「わからんもんやでほんまに、ほんまにわからん本間千代子や」

 

注)本間千代子----当時のアイドル、歌手。守屋浩と結婚。と言っても守屋浩を知る人すらもう少ないかも知れない。

 

なんとなくやる気のなさそうな黒田を五番に置いているのは、時々あるこの事情だったろう。

 

とにかく予想外な三点が入った。ピッチャーの橋田が随分楽になるか却って緊張するかは分からぬが、三組のダメージもちょっとしたものだったろう。

あまり動かぬ長谷川がマウンドに走った。浅丘も徳田も、セカンドの安井も駆け寄る。

長谷川が言った。「なんかなあ、この前とちゃうで。当てるのが上手うなってるで」

福田は無言で何度か頷いた。最初の橋田の当たりが既にそんな感じだった。

徳田が気合を入れた。「かめへんかめへん、まぐれやがな。普通にやったらこっちの勝ちや」

次のバッターはセンターの森だ。ここから下位打順はそれ程怖くない。とにかくここで閉めろと。

私はプレーを即した。「いくでそろそろ」

皆それぞれ守備位置に戻った。途中、徳田は一瞬立ち止まった。一旦後ろに隠れていたが、背の高い得体の知れぬ坊主頭の男とくっつくようにしている水口を見てギョッとしたに違いないのだった。

続きます。