雨霞 あめがすみ

過去に書き溜めたものを小説にするでもなくストーリーを纏めるでもなく公開します。

鉛色の出来事 本編 四

虹教諭が、何故私に反感を持つようになっていたのか、歩きつつ、ぼんやりとそんなことを考えた。


小学校四年生は、先生がああだと言えばそれに逆らえないガキタレでしかない。悪ガキでさえなかった私に、外部から学校に苦情を持ち込まれたこともない。

そんな子供に反感などあろうはずがないのだ。

反感でないとすれば、私自身に意地悪をしかけたくなるような要素でもあったのだろうか。それとも単純な理解不能な相性なのか。

 

 

人と人にはそういうものは確かにある。しかも分析など不可能に近い。

だとすると、その芽生えは一年二年生当時に感じたはずだ。

そんな記憶はまったくない。ないというより、私は既に、一二年生当時の自分がどんな子供であったかなど、完ぺきに忘れ去っている。

 

教諭の不可解な振る舞いは宿題ノートのことだけではなかった。

当時から私は絵を描くのが好きで、漫画雑誌の絵をまねて落書き専用のノートをまで作って描いていた。僅かな私の自慢だった。

それを知っている女子たちが、描いて描いてとせがむことが何度もあった。

しかし図画の評価は全然だった。授業で描いた絵を、やはり悪い見本として後ろの壁に貼り出された。他の者の絵には皆二重丸が付いている。私の絵にはやはりバッテンが付けられていた。

漫画と教育としての図画は違うものなので評価はどうしようもない。しかし教育の方法としても、そのようなスタイルがあるだろうか。

それに関して教諭は何も言わず、私も訊かなかった。余計なことを訊くものではないと、頭の回りの悪い私にも解るのだった。

一度プラモデルを組み立ててやった遊び仲間のひとりが、ふとそれを言ったことがある。

私は絵だけではなく、プラモデルを組み立てるのも得意だった。可動部の理屈が子供には難しくて、モーターで動く仕組みになっているモデルも、私などに買える安価なモデルはいざ組み立ててみるとなかなか動かない。そんなのが何度か泣きついてきたことがあった。

何しろ私は、田宮模型に入りたいと本気で考えているような子供だった。

動くようにしてやると、彼等は無論喜んでいた。そんなひとりが不思議に思ったのだろう。

「浜谷の絵、上手いと思うけどなあ、なんでアカンのかなあ」

それが虹教諭に伝わったのだろう。教諭は授業中に唐突にこんなことを言った。

 

「はい、皆も不思議に思っているかも知れません。浜谷君の絵は確かに上手です。しかし、上手く描けるようになることを、授業では目的にしているのではありません。もっと大切なことがあるのです。それを知ってもらいたいのです。

言葉で教えるのは簡単です。しかしそれで本当に伝わるでしょうか。先生は本人が自発的に考えてくれるように願っているのです。

浜谷君は普段から絵を描いていて上手なことは先生も知っています。しかし本当に大事なのはそこではありません。先生はそう思います。皆には難しいかも知れませんが、もっと奥の深いところに大事なことがあるのです。ここまで言えば、ははんと気が付くでしょう。そうですね浜谷君」

 

教諭は私に視線を向けた。私はギクッとした。どんな反応をして良いのか分からなかった。

沈黙のなかで、周りの視線も集まった。

私は、じっとうつむいているしかなかった。ただ時間が早く過ぎてくれることだけを願った。

単純な災難でしかなかった。

 

これは美術教育の現場でもありそうな話に思える。ある教授は誰からも上手いと目されている学生の絵を評価しなかった。それには重要な意味があった----などと、誰が作ったかまるで都市伝説みたいなもっともらしい話がある。

上手いだけでつまらない絵は確かにあるのだが、それをここで関連付ける必要はないだろう。例えその類であっても、小学校四年生でそれを言われてもしょうがないのだった。

増して見せしめにする必要などどこにもありはしない。

世の中の大半は、言葉でどうにでもなる。

私はこの頃から、疑い深い人間になりつつあったかも知れない。言葉を信じる性格ではないのだ。

そんな私でも遊び仲間は多かった。割と普通に誰とでも遊んだ。決してクラス仲間からいじめられる存在ではなかった。だから持ちこたえたのだろう。でなかったらきっと、いつかどこかの線が切れたに違いないように思う。


長屋から、川を越えた辺りから広がる広大なレンコン畑は、いつも私の遊び場だった

ザリガニ釣りに夢中になり、辺りが真っ暗になるまで帰らず、服をドロドロに汚して叱られたこともしょっちゅうだったが、懲りることはなかった。

釣ったザリガニを持って帰ることはなかった。水槽で飼えるわけでもなかったし、無論食べることなどあり得なかった。

地面を掘ってへこみを作り、釣ったザリガニをそこに隠した。結構深く掘ったつもりでも、後日確認するとザリガニは居なくなっていた。

わかってはいたけど、そんなことが楽しかった。

レンコン畑も点在する溜め池も、私にとっては未知の世界だった。ジャングルだった。
知らない所に身を置くということを、何故か私は欲した。

学校から帰るとカバンを放り投げて、すぐにジャングルに駆けだした。まだ探検したことのない場所を探し求めて、子供にしては随分な面積を歩き回ったと思う。

その癖は今もある。鬱陶しいことがあると、私は今でも知らない街を放浪したくなる。

そうやって、どうにか精神の均衡を保っていたのかも知れない。それを自分で分析したことなどないけれど、当時から既に、孤独を好む人間になっていたのだと思う。

 

勿論、ジャングルはすでに跡形もない。レンコン畑のひとつも見いだせない。今は道路沿いに倉庫やマンションや民家が建ち並ぶだけの面白みのない光景でしかない。

こうして歩いてみると、広く感じた地域も驚くほど狭い。そのなかのどこを歩いても、別段昔を思い出させるものは見当たらず、後は適当にブラブラと歩いて学校の正門前に辿り着いた。

当たり前だろうが、外から見る限り、学校は大方新しく建て直されているようだった。

 

続きます。