雨霞 あめがすみ

過去に書き溜めたものを小説にするでもなくストーリーを纏めるでもなく公開します。

鉛色の出来事 終章 後記

奇妙なのだが、長谷に関する私の記憶はここで全く途絶えている。そこからまるで、刃物で切られた糸のようにぷっつりと、以後はまったく、かけらのような記憶もない。

暑い時期に差し掛かって、プールの授業も始まったが、長谷が水に浸かっている姿を、私は見たことがない。そもそも長谷の水着姿など、私には想像も着かない。

 やがて一学期が終わり、夏休みを終えて二学期を迎えた時、もう長谷の姿はなかった。クラスに居た記憶がないのだ。

転校したのだろうか、ならばそれを教諭が私たち生徒に伝えただろう。しかし私にその記憶はない。

長谷の反撃のようなあの態度に、私は敢えて長谷を無視したのだろうか。そして記憶から消したのだろうか。

そんなことはない。そんな器用なことができる私ではない。反撃を食らっても長谷に反感など全く抱かない。そういうことではないのだ。

子供の関心事は目の前のことで一杯になる。多分、そういうことだったのだろう。


虹教諭自身、長谷にはなるべく関わらないようにしていたことは間違いないように思う。長谷が本を読むように命じられたこともなければ、授業中に質問を指さして当てられたこともなかった。

教諭が長谷に話しかけるのすら、一度も見たことがない。問題の、道徳の授業の異常な時間だけが例外だった。

もしかしたら社会的に複雑な問題を抱えていて、教諭は長谷に遠慮しなければならない危うさがあった可能性もある。それだから、あの過剰な成り行きになったと説明できるかも知れない。

とすれば長谷は一体何者だったのか。

 

推測の域を出ないが、長谷はきっと何らかの理由があって、その時だけそこに居た生徒なのだ。そして居る必要がなくなったか、どこかへ転居したに違いない。

居なくなった生徒のことを、大抵の子供はいつまでも覚えていない。私も同様だ。

私は二学期三学期と、それまでのことを思うと不思議なほど平穏な日常を送り、四年生の三学期を終える時期になった。

虹教諭はこれを機に他校へ転任することになった。

その最後の日、授業を終えると教諭は順番に生徒の席を回って、涙を流しながら生徒たちと握手を繰り返した。

私の席へも来た。「元気でね」と、私にも涙を浮かべながら手を差し伸べてきた。

私は「はい」と笑顔を浮かべて握手を交わした。あの長い説教の日や、それ以前の、私からすればいささか奇妙な教諭の接し方がなんであったかは遂に分からないままだった。

そのことを、私は既に奇妙にも不思議にも思わずに、ただ周りの雰囲気にのまれて同調していた。

長谷のことは、もうすっかり頭になかった。

以後三十年以上、長谷の記憶が蘇ることはなかった。できの悪かった私には、五年生六年生とその後の中学生時代を含めて、毎日が辛く苦しいものだった。余裕がなかったのだ。学生時代ほどではなくても、社会人になっても似たようなものだった。

 

その後長谷が、どこのどんな世界に行ったのはか知らない。想像も着かない。

自分には家がないとも言っていた。あれはどういう意味なのか。家がないのに学校に通う生徒は居ない。自分には居場所がないということなのか、それとも誰かに預けられていたのだろうか。

そういうことなら辻褄は合うかも知れない。今さら推測しても始まらないが、私たち以前の住人が預かっていた可能性はある。

長谷がクラスの仲間であったことは一度もなかった。それはただ、くじ引きのような都合で私と同じクラスに編入されただけであり、ほとんど誰の記憶にも残らない、ただ完璧に、クラスに混ぜ物のように存在しただけだったように思える。

同窓会の案内が届いてから、私は思い当たる数人に連絡を取ってみた。
長谷の記憶があるかと問うても覚えている者は誰も居なかった。そんな昔のこと、憶えていないと異口同音に言うのだった。

長谷はつまり、そんな存在だったのだ。

 

意外なことに、虹教諭は既に若い時期に亡くなっていたらしい。享年はわからぬが、連絡を取った一人が、伝え聞いた話として教えてくれた。

中森は中学生の頃に転校して行って、その後は行方が知れない。西岡は体調を悪くしていて参加しないという。どこが悪いのか知れぬが、太りまくっているらしいので、もしかしたら糖尿病かも知れない。

問題の樺木は、一流の私立大学を出て某大手企業に勤め、重役の娘と結婚して悠々の人生らしい。その結婚式の会場は某有名ホテルだと言うから、そういう人生を追いかけたのだろう。

しかし何故か不参加らしい。当初は参加の予定だったらしいが、急用ができたとかで取り消してきたらしい。もしかしたら、私の参加と関係があるだろうか。

これはまことに残念だ。あの嫌らしい男が、更に輪をかけて、今はどんな醜い人間になっているのかを見てみたいと本心思っていた。或いは私の顔をまともに見ることができる人間になっているかどうか、私は楽しみだった。

結局、私にとっては事件と言っても良いあの出来事に関係する人物は、誰も参加しないのだった。

 

私は今、長谷がその時しゃがんでいた場所に立っている。遥かな時間を越えて長谷の後ろ姿が蘇ってくる。

自分の影を落としたその地面に、意味不明な絵を描いていた。その意味は分からない。結局のところ、あの絵に意味などなかったように、私には思える。

人は時々ある種の癖が付く。ボーっとする時など、知らずにやる行為というものがある。何故かそれをすると落ち着く。

長谷にとっては、きっとあの絵がそれだったように私には思える。
 
長谷のそのときの姿を思い起こしつつ、同じような格好で私はしゃがんだ。そして近くにあった砂利のひとつを掴んで地面をなぞった。

あの時長谷がそうしていたように、意味のない線を、しばらく描いた。描きながら、その線を目で追った。

長谷が描いていた線の先はどこに繋がっていたのだろうか。

誰とも遊ばない。友達も居ないし要らない。そんな子供が居るだろうか。
いったい、精々十歳ほどにしかならない子供の心の中に何が隠されていたのだろう。

己の描く線を目で追いつつ、長谷はいったい何を思っていたのだろうか。

もしかしたら、私が生きてきた過去も、その線のごとく、意味もなくあてもなく、あるときは螺旋を描き、あるときはもつれながら、揺れてきただけのように思う。

決して、自分を蔑んでいるわけではない。人が生きるのはそういうことでしかないように、私には思えるのだ。生きている意味など、誰にもわからない。

 

私は長谷を真似て、ただぼんやりと小石で線を描き続けた。その私の胸に、長谷が棘のように残した最後の言葉が、今にして妙に、強く突き刺さるのだった。
 
「ええのや、うちはこれでええねん。もう放っといてや!」
 
 了 
 
 
 
後記

 

この小説はもう二十年近く前に書いたものです。

散文に近い状態で放置していました。元々は長編の一部として考えていたものです。

しかし長辺を書く力量は全然ありませんので、そこそこの量の短編にしました。

 

長谷は古代から伝わるある一族の娘という設定でした。一族は長編では重要な役を演ずるのですが、この短編ではその部分には一切触れていません。

ひとつだけ言えば、彼らは小さな枠内で生きていて、学校などとは無縁の者たちでした。社会との接点を持たない人たちでした。

しかし国は放置できない。戦後もしばらく経つとそういう時代になっていましたから、学校へ通うようになりましたが、馴染めずに終わった人も多かった。

そんな設定でした。

 

無理矢理感満載です。しかしブログがなかったら、纏めることも無かったろうと思います。

今後、しばらく間をおいて、都合が付けば別を公開したいと思います。

我慢してお読みくださった方々、ありがとうございます。