雨霞 あめがすみ

過去に書き溜めたものを小説にするでもなくストーリーを纏めるでもなく公開します。

鉛色の出来事 本編 三

久しぶりに訪れた大阪は、街そのものが圧縮されたような、押し詰められた箱庭のような感じを受けた。

オフィス街や新しく開発された街並みは別として、古いまま残っている住宅街は、狭い道路を挟んで肩を寄せ合って並んでいるような、やや大袈裟に言えばプラモデルのジオラマのような感じさえ受ける。

子供だった私から見れば、街は相対的に大きかったのだが、東京に比べると大阪というところは何かこう、濃いのだなと、そんな気がするのだった。

もっとも、成人してからも数年は大阪住まいだったし、今さらそんな感触を抱くのも変なのだが、高校生以後は郊外の団地に越してしまったし、この街に住んでいた当時はその密度を意識することなはなかった。

 

京阪電車の最寄り駅から大人の足なら歩いて精々十分か十五分。そこから先をずっと行けば、レンコン畑や池が点在するばかりの、民家もまばらな寂しげな光景があるばかりだった。

そんな場所に小学校はあり、今もある。つまり当時は、街のほぼ外れに位置していたのだ。

 

真っ黒なヘドロの底を見せてイトミミズが揺れるだけのザリガニ一匹棲まない汚いどぶ川が流れ、その周辺には、今の感覚からすれば、人が住むには少々酷なほどのバラックに近い民家が点在していた。

そんな長屋のひとつに、私たち一家は住まいしていた。

小学校からは至近だった。

 

「来てしまったなあ…」

ついひとり言がもれた。そんなつもりはなかった。地元に居る者はともかく、遠方が参加するのは運賃だの宿の手配だの何かと大変だ。

なのに、あれこれと思い出すにつれ、苦い思い出の場所を一度はを訪れて置きたいと、ついそんな気になってしまった。

それは山男の言う、遭難現場を得てして確認したくなるという、そんな類なのかも知れない。

 

同窓会当日、夕方少し前に、可能な参加者は一旦校庭に集まることになっていた。皆で昔を懐かしんでからゾロゾロと会場へ移動しようということだった。

私はそれよりも早い時間に訪れて、いっときの思いに耽る時間を持ちたかった。

己が住んだ付近の様子を、別に訪れてどうということもないのだが、一応は見て置きたくなったのだ。

 

汚れたどぶ川は既に暗渠になって、上は舗装された綺麗な道路になっていた。

どこから流れ来てどこへ流れて行くのか誰に訊いても分からず、サーフボードのような形の白いヘラのようなものが、時折固まって流れてくる不思議な川だった。

ある者はそれをイカの骨だと言った。駄菓子屋にイカを赤く染めて干したおやつが売られていたが、あんな物に骨があったのかと不思議に思ったものだった。

といっても今もってその正体はわからない。こうして思い出すと奇妙に思い気にもなるが、不思議に思っても子供がその正体を調べるようなことではなかった。

 

私たち一家が住んだ長屋は、そんなドブ川のすぐ近くに建てられていた。

驚いたことに、長屋は今も健在だった。周辺にはその後に建てられた民家や商店が並んでいるのに、何故かそこだけが取り残されているのだった。

情けないほど玄関の狭い平屋建ての四軒長屋。その向かって左から二軒目が私たちの住まいだった。

 

付近の角に置かれた自販機でスポーツドリンクを出して、別に渇いてもいない口に含んだ。

しばらく立ってさり気なく観察していても、これであれば不思議がられることはないだろう。

錆びた洗濯機が玄関前に置かれている。内に置くスペースはないから、道にはみ出るように置かれている。

三畳と六畳の二間に小さな板の間のキッチンがあった。食器棚一つ置けば座るのも苦労な板の間に御座を敷きちゃぶ台を置いて、私たちは交代で食事をした。私と兄を先に食べさせ、母は父の帰宅を待って食べるのだった。

ご馳走というのを食べた記憶はない。カチカチに揚げた冷えたクジラのカツが精々ご馳走と言えただろうか。

その長屋が今も残っている----。

貧しいとは言えぬでも、決して並みの水準でもなかった。それが私たちであり、この住まいだった。それが今も残り、住まいする人が居る。その現実を、不思議と言ってはいけないだろうか。

 

聞けばこの長屋は、実は不法に建てられたものだったらしい。役所に転入届を出しに行った時に、それ故の辱めを役所で受けたと、母が語っていたのを思い出す。

 

あんた、こんなとこに住むんでっか、空き地でっせ----。

 

そんなことだから、多分家賃も安かっただろう。

 

私たちのいきさつはともかく、当時は狭い集合アパートに子だくさん家族が住んでいるのは普通の光景だった。

あっちもこっちも貧しかったのだ。

本当の貧しさとはどんなものなのか、それをふと想像して、ひっそりと人の目を忍ように建てられた小屋のような家屋を時折見かけたのを、私は思い出した。

 

長谷は、或いはそんな環境で生きていたのだろうか。

 

続きます。