雨霞 あめがすみ

過去に書き溜めたものを小説にするでもなくストーリーを纏めるでもなく公開します。

鉛色の出来事 本編 五

正門前には学校指定の文具屋があって、登校時にはわざわざ店の前にテーブルを置いて商売をしていた。毎朝子供たちでいっぱいだった。

しかし私は、ここでは買うことはあまりなかった。どちらかといえば、道路の向かいの、もうひとつあった小さな文具屋で買っていた。

昔からそういう性格だった。

 お婆さんと、その娘なのか嫁なのかは知れないが、小さな家の玄関を利用してつましい店を二人でやっていた。

僅かなものを買っても手製のくじを引かせてくれて、外れがなかった。いつも買った物よりも多いくらいの景品をくれて、こちらが申し訳ない程だった。

そんな工夫までしていたのに、私以外がここで買うのを目撃したことがない。

 

文具屋はいずれもなくなっていた。学校指定の方はマンションに建て替わっていた。

学校文具など、今はどこのスーパーでも買えるので、それほどの必要性はなくなったのだろう。

一方小さな文具屋は、どうやら空き家になっている気配だった。無論その後長く続いたとは思えぬが、こうして立ち寄ってみると、二人のつましい素振りと、その後店が多少でも繁盛したのだろうかと、そんなことが気になるのだった。

 

もしかしたら、正門は時間がくるまで閉められているかも知れないと思ったが、開いていた。

脇の壁に、避難指定区域の看板が貼り付けられいる。休日などは普段から解放しているのかも知れない。

少しお辞儀気味に様子を窺いながら入ると、昔は運動場がそのまま見えていたのに、今は校舎が建って遮られている。その校舎さえ、一応の年季が入って、それなりの古さも感じさせるのだった。

 

右手に廊下、奥まったところにも入り口がある。どこから入って行けばと戸惑っていると、右手の廊下の部屋から若い男性が出てくるのが見えた。

怪しい者ではないと、なるべくの愛想笑いを浮かべて、その方に向かって小さくお辞儀をすると、相手は近付きつつ、同窓会の方ですか、とたずねた。

私が入ってくるのをどこかで見ていたのだろうか。

 

卒業生ですがと挨拶をすると、相手は急に笑顔になって、自分は教諭をやっているが、たまたま近所住まいなのでお手伝い方々様子を見に来ているのだと述べた。

年頃いくつくらいなのか、まだ子供の雰囲気を残した顔立ちをしている。虹教諭を今の私が見れば、こんな子供子供した感じに見えただろうか。

 

少々早く来てしまいましたが、運動場へ入らせてもらってもいいですかとたずねると、あちらの玄関を潜ると運動場ですと指さして言い、自分が出てきた辺りの部屋で集まって頂くことになっていて、抽選会もあるからとだけ伝えて戻って行った。

正門からすぐに運動場へ入れた昔の方が素直な造りだったな、などと他愛のないことを思いつつ玄関の扉を潜ると右手に運動場が見えた。

子供の頃に感じていたよりもずっと小さな運動場だった。校舎が大きくなっているので幾分は小さく感じられるのだろうが、にしても、こんな狭いところで野球をし、運動会をやっていたのかと思うと、ちょっと不思議な気がするのだった。

 

人の姿は見えない。子供の姿もない。私が生徒だったころは、休日でも近所の子供が運動場で遊んだりしていた。ときには大人が混じって野球をやっていた。そんなことが許されていた時代だった。

斜め奥の最も遠いところに体育館が見えた。そのデザインから判断すると、私が在校中に新築されたものだろうか。どうやらそれが今も残っているのだった。

 五年生のとき、校舎と体育館を繋ぐ渡り廊下の支柱に頭をしこたまぶつけたことがあった。私は結構な頭痛持ちだが、母と似ているだけでなく、きっとそのせいもありそうに思えてならない。

 

体育館の前にソテツの植え込みが見えた。あの石組みの植え込みだ。

私はゆっくりと、真っすぐに近寄った。ソテツは植え直されているだろうが、石組みは当時のままのようだった。

その前に、私は立ちつくした。

 

ここだ、ここで長谷は、運動場に背を向けるようにして、いつもひとり座って地面に絵を描いていた。

何を描いていたのかはわからない。指でなぞっているだけなので、形ははっきりしないが、描かれるものはいつもグルグルと渦を巻いたようなものだった。

何故そんなものを描いていたのか。人と遊ばない長谷は、ただ手持無沙汰でそうしていたのか、何らかの理由があったのか、ついにわからないで終わった。

きっと、意味などはなかったように私には思える。じっと一人で居たら、きっと私だって、時折地面を手で擦ったりもするだろう。そこに意味などあるとは思えない。

人と口をきかない、きいてもらえない、遊びの輪にも入らない、入れない。そんな長谷は、学校ですることなど何もなかったのだ。

 

宿題ノートのことがあったあの朝、初めて長谷を認識した私は、以後長谷のことが妙に気になった。

その理由は何だったろうか。他とは違った異質な在り様が興味を抱かせたのだろうか、貧困を直に物語るその姿に、子供故の醜い優越感を感じたのだろうか。

 

しかしそれは、そうだと言えば言えるし、違うと言えば言える程度のことでしかない。

もっとそれらしい理由を無理やり探せば、長谷が同じクラスに居たことに全く気付かなかったことの奇妙さを感じたのではないかと、そんな気がしている。

教諭との関係もあったし、私の頭の中は大方そのことで占められていた、ということは無論ある。しかし改めて思えば、長谷が誰かと話しているような姿を見たこともなければ、教諭と話をしているような光景すら見たことがない。

長谷が宿題をやってくるような生徒だとはとても思えなかった。恐らく長谷の家庭はそんな状態ではなかった。

そのことで教諭に何事かを言われた気配もなかった。事実その後の私の観察でも、長谷は宿題をしてきているかの確認すらされていないようだった。

 

長谷はただ、学校に来ていただけなのだ。学校に来て昼には給食を食べ、授業が終われば帰る。ただそれを繰り返しているだけの生徒だった。

つまり、虹教諭から見ても、恐らく長谷は存在しないに等しかったのだ。

担任だから成績は付ける。もちろんそれはそうだ。しかしそれだけのことだ。今にして思えば、きっとそれ以上のことであってはならない何らかの理由があるに違いなかった。

 

無論、当時はそんな風には考えなかった。子供の私にそんな推理は働かなかった。

そして私は、五年生六年生、そして中学生時代と、その後も続いた不愉快な学校生活で、長谷のことなどは頭から消えていた。

 

 事実長谷は、いつの間にか皆の前から姿を消していた。

 

続きます。