キチっとまとめていませんが、ちょっと腱鞘炎気味なので、本編を少しずつ公開して行きます。
お読みください。
鉛色の出来事 本編 一
ある日ひょっこりと、大阪から小学校の同窓会の案内が舞い込んだ。
住所など教えた記憶はないが、たまに連絡を取っているのがひとりふたりは居るので、多分その辺から辿ったのだろう。
卒業三十周年の見出しがあって、その後に簡単な挨拶と参加を即す文面が続いていた。
大阪を離れて長い。楽しいことなどほとんどなかったし、大阪に多少の懐かしさはあっても愛着はなかった。増して子供の頃は、自身できぬこともあって、毎日が重苦しかった。
参加する理由など見当たらなかった。
それでも一通の葉書は、日頃はすっかり忘れていた昔のことを思い出させた。
ガキタレだったころの自分を、私はぼんやりと思い浮かべた。
何をやっても冴えなかった。教諭や教師たちには好かれなかった。分かり切った濡れ衣さえ着せられた。他人と同じことをやっても何故か自分だけが叱られた。
五年生だった時、プールの授業を休んだことがあった。風邪気味でだるかった。
他に二名休んだのがいて、皆がプールで泳いでいるときに、私たちは教室で自習していた。
その二名が、ふざけて教室でボール投げをやり始めた。
私は止めた。万が一ガラスでも割ったらどうする----と言わぬうちにボールがあらぬ方へ飛んで窓ガラスにぶつかった。
見事に割れた。
二人は三人で謝りに行こうと言い始めた。勝手なことを言うなと私は思ったが押し切られた。
プールから上がってくる担任に事情を話した。担任はプールの栓を占めるバールのような道具で私たち三人の頭をいきなりゴツンとやった。重いので結構な衝撃だった。
「僕はやってません」
さすがの私もちょっとムカッとした。
当の二人は黙って頷いた。同意したのだ。しかし担任は余計に怒った。
「ほな、なんで止めんかったんや」
そういって、私にだけもう一発ゴツンときた。一発目より力がこもっていた。
主犯が一発づつ、傍観者、というよりは制止した私が二発やられた。
この理不尽を、担任は考えることもなかった。アホでもなければ分かることなので、むしろ故意だったかも知れない。
中学生になってもこの傾向が変化することはなかった。
たった一度、初めて宿題を忘れたとき、数学を受け持っていた時の担任はこう言って私を叱った。
「お前はいつも忘れとるな」
つまりはそういうことなのだ。相手に事実は関係ない。
「今までずっとやってきました。初めてです」
担任はいちいちマークを付けているのだった。それだけでもネットリしている。それをちょっと調べて、決まりの悪さから余計に不機嫌になった。
「初めてやったら宿題忘れてもええんか」
無茶苦茶なことを言って、立っとれ!と怒鳴った。
授業の間、私はずっと立っていた。
ざっと思う浮かぶ限りでもこんな調子。こんなことの繰り返しだった。
理由はわからないが、いつからかそうなっていた。
しかし、そんな生徒は他に何人もいるのだ。だいたいできないガキタレはそんなものだ。
不愉快なことがあっても、たいていは過去を過大に記憶することなく忘れて行く。記憶があっても、長ずれば既にダメージにはならない。
時が解決するとは、そういうことだ。
でも、あれは異常だった----。
成り行きひとつであんな風に物事が展開するものかと、今でも思う。
小学校の四年生、歳は九つか十だった。そんな子供には重すぎる展開だった。
教諭連中の誰も問題にしなかった。私もそれを願った。できるだけ早く、皆で忘れて欲しかった。
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同窓会とはつまり最終学年の集まりだ。六年生の担任は別の教諭だったし、四年生当時の担任は、そのクラスを最後に他校へ転任して行った。
しかし、クラス分けされてもほとんどは見知った間柄だ。あの事件のことを皆知っている。仮にその話を誰かが持ち出したとしても、今ではもう、すっかり笑い話にしてくれるだろうが。
星----と言うほどのものではないかも知れないが、私はどうやらある種の星を背負っているように思える。
星は誰でも背負っていると言うなら、私はきっとハズレ星を引いてしまったのだ。
あの出来事は、それをはっきりと私に認識させるものだった。以後も事の大小は違っても、社会人になってからも、結局は似たり寄ったりの成り行きの中で生きてきたのだ。
今こうしてなんとか生きているのはむしろ私にしては上出来かも知れない。
星と言うなら、それを分析したところでしょうがないのだった。
続きます。