雨霞 あめがすみ

過去に書き溜めたものを小説にするでもなくストーリーを纏めるでもなく公開します。

水色の日傘 29

井筒を迎える前に徳田が福田のところに駆け寄った。長谷川も安井も主将の浅丘も駆け寄ってきた。徳田は毎度の如くしたり顔で言った。

「お前らにはピンとこんかも知れんけど、どうもあいつはな、ちょっと用心したほうがええで」

わかってるがなそんなもん、何回おんなじこと言うとんねん----腹の中で皆そう思った。やれやれとばかり、長谷川は視線を空に泳がせた。

構わず徳田は続けた。

「どうもあいつは、知らんとこでだいぶん練習しとるで、もしかしたらどっかのチームに入ってるか誰か上手いやつが専門に教えとるかも知れん。バッティングはともかく、守備はまぐれが通じひんのや」

一応は理屈なのでなんとなく皆は頷く。

「福田には悪いけど、ここであいつがその気になったらホームランも難しいことはないと思うで」

「ほな、どないすんねん」福田はムッとしている。

「敬遠でもええんとちゃうか」

言われんでも一応はそれくらは考えるで----福田は腹のなかで思った。

井筒がレベル違いなのはそろそろ承知だった。先程は右中間の二塁打だったが、なんとなく力を抜いた感じで、大人がやっている雰囲気だった。

「どうせ塁が空いてるんや。井筒は歩かせても橋田からは大したことない。俺はそれがええと思う」

 

回は浅いが、きょうは徳田にまだホームランがない。どちらが勝とうが最も目立つのは自分でなければならないと徳田はそう思っている。それにいつどんなことで水口だって帰ってしまうか知れない。それでは目的の半分が達成されない。

しかしきょうの試合が始まるまで眼中にもなかったような相手に、いくら只者ではない気配であろうといきなり敬遠など福田にもメンツというものがあった。その不服そうな顔を徳田が見て取った。

「あのな、敬遠も立派な作戦なんやで、メンツもなにもないやろ」

そんなこと分かってる。福田は主将でもない転校してきたばかりの徳田に命令されている格好が嫌だった。

察して浅丘が割って入った。

「橋田もなんか前とちゃうからな、そない舐めたことはできんと思う。それにここで勝ち負けにそないにこだわるのもどやろか、どうせ草野球と言うたらなんやけど、元々が遊びや、楽しいのが一番や、打たれても笑い話でええのとちゃうか」

福田の気を楽にしてやろうとの浅丘の配慮かも知れないが、始めて主将らしいことを言う浅丘の顔を徳田がジロっと睨んだ。徳田はそうではない。私と篠田が仕組んだとは言え、この試合は徳田の自己顕示欲の強さが生んだ結果だ。格の違いを皆の前で見せつけるのが徳田の最大の目的だった。自分以上に目立つ存在はできるなら作りたくない。

 

浅丘は続けた。

「さっきから見てたら、井筒はメンバーにちょっとづつ何か言うとるみたいや。皆素直に頷いとるがな、信頼されてるんやろな。それを萩野も全然不快そうにしてないがな。萩野も井筒を受け入れてるんや」

徳田に対する当てこすりっぽかったが、皆はウンウンと頷く。

「試合やから、そら勝ち負けは大事や。けど、上手い奴には教えてもらうのも悪いこっちゃないと思うで、正々堂々と勝負して、相手が凄かったら、それはそれでええ勉強や」

一晩寝ずに考えたのかと思えるほどの浅丘の主将らしいセリフに皆目を丸くした。この頃お株を奪われている徳田に対しても、主将は自分であることを切っ掛けがあれば認識させたいと案外思っていたかも知れない。

長谷川がボソッと同調した。「そやな、俺はそれでええと思う」

他も皆頷く。徳田はブスッと立っているが、一言呟いた。

「敬遠言うても逃げる訳やない。作戦を考えるのも、大事なこっちゃと、俺は言うてるだけや」

それはそうだ。もっともな意見にやっぱり皆頷く。徳田にも一応のメンツがあった。

「よっしゃ、お前に任す。決断したらそれで行けや。中途半端が一番あかん、それやったら徳田が言うように敬遠も悪うはない」

浅丘が気合を入れるように福田の尻をポンと叩いた。

福田は覚悟を決めたように唇を噛んだ。

「わかった、任せてくれ。結果はあれこれなしやで」

話が決まって守備位置に戻ろうとしたとき、意外にも福田が徳田の肩を叩いた。そして言った。「おおきに」

振り向いた徳田に福田は笑顔を送った。一瞬えっと思ったが「おお…」とだけ返事してわずかに頷いて徳田はサードの守備位置に戻った。

自分の意見を助言と受け入れて福田は謝意を表した。多少はメンツを気にしたこともあるだろうが、このことに、徳田は僅かに響くものを感じた。経験のないことだった。

続きます。