雨霞 あめがすみ

過去に書き溜めたものを小説にするでもなくストーリーを纏めるでもなく公開します。

水色の日傘 22

三組は既に白けムードだった。徳田がこの態度では如何ともし難い。あまり動じない雰囲気の長谷川はともかく浅丘と福田はかなりムカついた。安井も呆れ顔だ。

それでもけじめを付けようと浅丘が福田の尻を叩いた。

「よし、気い入れ直すで、ビシッといこ」

福田は何度も頷いた。それぞれ守備位置に戻ろうとしたとき、浅丘が振り返って今一度福田に歩み寄った。

「あんな奴ほっとけ、あんまり気にすんな、それより、四組はどっかでコツを見つけたみたいやな、もしかしたらあいつかも知れん」

浅丘はボックス付近でバットを持って突っ立っている井筒をチロッと見た。福田も井筒を見た。何故か左ボックスに居る。運動音痴の筈だった奴がメンバーになり、チームの雰囲気も違っている。

「わかってる、こっちに集中するわ」

福田が唇を噛んで答えると、浅丘は元気つけるようにもう一度福田の尻を叩いた。 

 

「プレー!」

私が宣すると、井筒はさり気なくそのまま左ボックスに入った。

福田はビックリした。当時子供の草野球で右投げ左打ちなど見かけるものではない。長谷川も井筒を見上げて思わず声を漏らした。「ほんまか…」

浅丘も徳田も驚いているに違いなかった。徳田はいよいよ井筒に深い関心を抱き始めた。少なくとも目の届く範囲に自分より上手い奴が存在してはいけない。徳田はそういう性格だった。

井筒の左バッターに気圧された福田は様子を見ながら入らざるを得ない。初球、アウトコース低めに伺うような球を投げた。ボール。井筒は素知らぬ顔で突っ立っている。

二球目はインコース高め、カーブともストレートともつかぬ球が体に近いところへ行ったが、井筒はさり気なく下がって避けた。その落ち着き様はただごとではなかった。ボール。

萩野が野次った。「ビビっとるぞビビっとるぞ」

福田はムカついた。ビビっているなどと言われて面白いはずがない。三球目、打ってみろとばかり、渾身のストレートをど真ん中に投げ込んだ。

井筒は軽くバットを出して、まるで紙風船でも払うような感じで打った。パコン!と強い音がして、ライナー性の打球が右中間に飛んだ。ライトの岸下とセンターの高田が懸命に追う向こうでワンバウンドツーバウンドして転がっていく。四組が一斉に回れ回れと腕を振り、女子たちが一斉に歓声をあげた。

ファーストランナーの太田は一目散に走った。セカンドを越えてサードに達する頃、花壇の針金フェンスに当たって跳ね返った球を高田が捕ってようやくセカンドに返球した。太田は皆がまだ一斉に腕を回し続けるのを見てそのままホームに駆け込んだ。

「ホームイン!」私は声高らかに宣した。四点目だった。

 

返球を安井が捕球したときは、井筒は既に悠々とセカンドに立っていた。中学生が宣するまでもなかった。完全に余力を残したような軽い練習のような井筒の動きだ。

女子たちの話し声が聞こえた。「いや、井筒君凄い」「知らんかったわ、運動音痴やったのに」

イタチのような顔をしているが、よく見ると良い男と言えぬでもない。普段から大人しく、他人を怒らせるようなところの一切ない井筒は、以後ちょっとした人気者になりそうだった。

中学生が思わず井筒に声をかけた。「お前凄いな、動きが違うがな」

井筒はペコっと頭を下げた。打って申し訳無さそうな井筒のその姿を、徳田が怪しいものでも見るような目で見ていた。

恐らく四組のメンバー全員が思っていただろう。その気であれば、もっと完璧に振ってホームランだったに違いない。井筒はなるべく控えめに振る舞っているのだと。

浅丘が福田を勇気づけた。

「ええんやええんや、ここまではええ、ここからピシッと行け!」

井筒は予想通りの奴だ。他の連中も鋭くなっている。今日の試合は結構打たれるだろう。しかし自分たちも充分点が取れる。徳田は嫌な奴だが打力は特別だ。まだまだ浅丘は負けるつもりはなかった。

 

ノーアウト二塁。打順は一番に戻った。打者の橋田に打力はあまりないが、前回の打球は侮れない。

萩野が叫んだ。「橋田、バントやバント」

橋田はバントの練習などしたことがない。が、福田にそれはわからない。あるいは引っ掛けかも知れないが、どちらにしてもこのバッターでアウトをひとつ取らねばならない。形だけで打ってくる可能性もある。バントならむしろ二番の福永の方が確率が高い。

しかし橋田は萩野の指示通りバントの構えをした。バントなら悪球でもやりがちだ。失敗の可能性もある。福田はそう考えて外へ流した。はっきりとわかるボールで、橋田はバットを引いた。「ボール」

バントでなくてもファースト側に転がせば井筒は進塁できるしヒットになるかも知れない。バントよりもその方が確率が高いと橋田は思った。

一方福田は、スリーバントアウトを目論んだ。一球目よりやや内側、ストライクコースを狙って福田はストレート投げた。橋田は咄嗟にバットを引いてこれを打った。打球はファースト側に転がって、浅丘がこれを捕って自分でベースを踏んだ。井筒は三塁に進塁した。両チームから見て、まあまあの結果だった。

 

ワンアウト三塁。浅丘が叫んだ。「これでええこれでええ」

次の福永を打ち取れば三番の櫻井は一応の打者だが、確率的にそうそう打てるものではない。まずはアウトひとつの気持ちだ。

萩野が指示を出した。「福永、バント行けバント、お前もバントや」

わざわざ手の内を言う奴は居ない。揺さぶっているのだった。

外野フライでもバントでも、ボテボテの内野ゴロでも可能性がある。福永には選択技が多かった。

萩野はバントを支持したが、これは見かけだけのことで、福永は強く打ってヒットになる可能性を考えた。エラーを誘ったが前の回もバントだったので今度は打って自分で点を入れたい。女子たちも観ているなかで、当然の色気だった。

その色気が災いしたか、福田の投げたややインコースより高めのストレートを打ち頃とみた福永は強振したが、打ち損じてサードフライになった。徳田が難なくこれを捕って振り返って井筒を目で牽制した。井筒はポストのように突っ立っていた。

萩野が叱った。「あほ!バントや言うたやろが」

福永はしかめっ面でぼやいた。

「しょうがないがな、バントでも失敗するかも知れんがな」

「まあ、そらそやけど…」萩野はニヤニヤしつつ何度か頷いた。

ツーアウトランナー井筒は三塁そのまま。

浅丘が尚も福田を励ました。「おーし、行けるで行けるで、バシッといこ」

福田は気分的に盛り返した。ツーアウトなので櫻井はヒットを打つことしか考えない。櫻井は外へ逃げるカーブを見送った後、やはり外へきたストレートを振ったが空振りした。

三球目インコース高めのストレートを福永と同じ様に強振したがこれもサード側にファールフライになった。徳田がこれも難なく捕った。

中学生がサッと右手をあげた。三組女子から拍手、四組からはため息が洩れた。

右バッターにたいする福田のインコース高めは威力がありそうだった。

「アウト、スリーアウトチェンジ!」

絶好のチャンスだったが無得点。野球には普通にあることだった。三組はピンチを凌ぎ、福田は自身の体に活力が戻るのを感じた。

続きます。