雨霞 あめがすみ

過去に書き溜めたものを小説にするでもなくストーリーを纏めるでもなく公開します。

水色の日傘 14

いよいよ遂にその時がきた。


私は学校から戻って昼食もそこそこに、家にようやく一本ある古びた兄のバットを持って公園に駆け出した。

マネージャーの最も大事な役割は場所取りだ。もし誰かに先んじられていたら、その連中が試合を終えるまで待たねばならない。

公園は割と広く、対角線上にホームベースを置いて二チームが試合できるが、時と場合によってすぐに塞がってしまうことがあった。また、二チームが試合をした場合、外野が交差する格好になる。よそのチームのセンターがこっちのセンターより近くに居たりして、その間を買い物籠をぶら下げた主婦が斜め横断したりするので危なっかしいのだが、当時はこれが普通で、誰も問題にしなかった。

 

 公園に駆け込むと、篠田が先に来ていて手を挙げて、おうと私に合図をした。

「早いな、ちゃんと昼飯食うたんかお前」

何故か知らぬがいつも先に来ている篠田がちょっと不思議だった。

「俺は何でもやること早いんや、遅いことは誰でもやるがな」

相変わらずな言い方だった。しかし、おかげで場所取りはできた。

私はグルっと公園を見回した。「ママさんはまだやな」

「間違いなく来てくれはったらええけどなあ」

篠田は腕組みして呟いた。篠田も今回はメンバーが揃って、どうやら補欠に回ったらしい。安堵の色が浮かんでいる。

「俺も控え組や、補欠もおるし、きょうは出る心配はない。お互いにマネージャーや」

 

皆が来る前に準備をしておこうと、私は持ってきたバットの握りの方で地面に線を引き始めた。

何度も同じところで試合をしているとベースの位置の判断が大体は着くのだった。周りの景色と照らし合わせ、地面にも以前に描いたベースの形が薄っすらと残っているので、それを探すのだった。

ベースと言っても別にそれらしいものを置く訳ではなく、踏まれても消えない程度の絵を適当に描くだけだった。これも大体の後が残っているから苦労はない。ピッチャーマウンドも同様で、なんとなくその辺が擦れているし、試合前に両チームの合意で距離を決めるのだった。スコアボードもホームに近い適当な位置に描くのだが、これも大方決まっている。つまりすることはあまりないのだった。

篠田とあれこれ言いながらやっていると、井筒が太田を伴って現れた。レフトを守っていた太田はおとなしく影の薄い存在だった。レフトへ飛んだ球も大方センターの森が捕る。森は守備が上手くフライの大方を捕っている。つまり、太田の影は薄いのだ。そんな太田を井筒が伴っているのか伴われているのか、二人並んでやってきた。別に、家が近所だとも聞かない。

「ふたりいっしょかいな、どうしたんや」

「まあな、井筒にあれこれ教えてもろうたんや」

太田はニコニコしている。

そ言えば、練習の時に影の薄い太田に井筒がなにやらマメに呟いていたが、バッティングの秘訣でも教えていたのだろうか。あるいは太田の影が薄いので、井筒が親近感を抱いたのかも知れないかった。

 

公園の、あまりアテにならない時計が一時を少々過ぎたころ、チラホラとメンバーが集まり始めた。三組からもやってきた。萩野も三組のリーダーの浅丘もやってきた。

徳田の姿はまだ見えない。

萩野が浅丘に近づいた。

「ちょっと練習したで、この前みたいには行かんで」

浅丘が答えた。

「ちょっと練習しただけで変わるんやったら苦労はないがな、まあこっちはこの前勝ってるし、勝負は二の次や。それより徳田を押さえんとまたやられるで」

萩野が答えた。

「頑張るがな、お前も徳田に負けんように頑張れや」

浅丘は、ちょっとムッとしたようだった。「余計なお世話や」

女子たちもピーチクと喋りながらやってきた。なにしろ両方のチームから集まってくるから賑やかだ。あちこちで世間話しを始めて盛り上がっている。近所のおばさん連中が集まったのとそれ程の違いはなかった。

大方が揃ってガヤガヤとやっていると徳田が姿を見せた。大物のガンマンが最後に登場してくるような雰囲気を狙っているのだろうと思った。

女子たちの視線も一斉に徳田に注がれた。

「ほんまに、見事なこっちゃで」

篠田が徳田に見えぬように顔をしかめた。

 

「よーし、そろそろ始めるで」

萩野が叫んで、点呼をとった。浅丘もメンバーを数えた。

試合の前に、審判の宣誓をしなければならなかった。審判は主審だけで、無論だが塁審はない。

私はちょっとばかり声を大きくした。

「みんなの前で宣誓します。きょうは自分と篠田が審判を努めます。お互いにチームに贔屓することなく正々堂々と務めることを誓います。ここでジャンケンをして、主審と副審を決めます」

すると一斉に女子たちから拍手があがった。前回とまるで違った試合の雰囲気だ。

私は少々痺れた。こういうこともあるのだと感激した。ちょっとは私に気を持つ女子が表れるだろうか。もしかしたら、きょうは自分を売り出す好機かも知れない。

 

ジャンケンをすると、篠田が勝った。勝ったほうが好きな方を選べる。

篠田は言った。「お前がやれや、俺はママさんが来たら忙しいからな」

副審は事実上やることはない。点数を記入したり主審に何かあったら交代するだけだ。

あーそやろそやろ、と私は同意した。ママさんが来たら頼むで。

 

両チームが並んで、萩野と浅丘がジャンケンで先攻後攻を決めた。勝った萩野が後攻めを選んだ。勝った方は大抵後攻めを選ぶ。一斉に挨拶をして、四組が守備に散った。

マウンドに立った橋田を徳田が軽蔑するように呟いた。

「またあいつかいな、懲りんやっちゃで」

私は無視して、伸びるだけ右手を挙げて叫んだ。プレーボール!

一斉に起きる女子たちの拍手。

全くの晴天とは言えないが、まずまずの野球日より。いよいよ試合が始まったのだ。

 

続きます。

年内最後の更新です。来年も宜しくお願いします。