「このごろあかんわ、身体が動かへん、明日は大変やで」
「ミットもないからみっともないわ~」
「そんなしょうもない洒落、誰が笑うかいな」
あれこれ言いながら集まってきたメンバーを見ると、遠くで眺めるのとは違って皆それなりに歳をとっていた。余計なことだが、男前は一人も居ない。野球をするのだから当然だろうが、皆よれた服を着て、如何にも労働者の風采だった。
「かき氷でっか、よろしな」
眉毛がママさんと目を合わせ、挨拶をした。ママさんも笑顔を返したが、しかしこのとき、眉毛は一瞬何かを考えた風だった。しかしすぐに表情を戻して皆を振り返った。
「おーい、何人居るんや、勘定してくれ、わしを忘れたらあかんで」
草野球は必ずしも九人ずつとは限らない。頼まれ審判だけをやるのも居るし、その時々に応じて三角ベースだったりもする。つまり二塁がないから三角形になるわけだ。
彼らも三角ベースだった。内野も外野も守備は二人だ。狭い公園だからそれができたのだが、それにしても穴ばかりだからヒットが多くなる。なかなかアウトにならない。
おまけにピッチャーだって鋭い玉など投げられないから厳しくやるとストライクが入らない。これじゃいつまで経っても試合が終わらないのでいつしかストライクゾーンが大甘。何を投げてもストライク。
審判が居ない場合、だいたいに於いて守備に着く必要のない攻撃側の誰かがやったりするが、それだと何でもボールにするのでキャッチャーと言い合いになったり、打つ方だってろくに飛ばせないので結局は落ち着くところに落ち着く。
ついでに言えば、キャッチャーだって専用のミットなどないことがほとんどで、普通のグラブで受けていた。誰かが--ミットもない--とそれを洒落ていたのだ。
「大将入れて十三人!」
数えんでも分かってるがな、と誰かが笑っていた。
「ほい十三人、何人分できまっか」眉毛がママさんに訊いた。
一度にこれだけ売れると繁盛だ。ママさんは嬉しそうなニコニコ顔で答えた。
「そうやね、大きいのでそれくらいは大丈夫かな」
「大きいのて、なんぼでっか」
突然篠田が声を弾ませた。「十円!小さいのは五円」
「ああそうかいな、わしはこっちに訊いとるんや」
眉毛は笑いながらママさんを指差した。
氷がかなり溶けてしまっていて、あれからそんなにとれるのかと私は不思議に思ったが、僅かな量からでもかき氷にすれば綿のように膨らむ。でないと商売にならないのだった。
「その子、娘さん?」
眉毛が私達と同じことを訊いた。ママさんはガリガリとやりながら笑顔を絶やさぬようにしながら頷いた。
「可愛い子や、大人しゅうてええ子やがな、その辺のチビやったら動き回って商売にならんとこやろね」
ママさんは黙って頷いている。篠田はその子の隣にくっ付いている。気が合うのだろうか。
最初のひとつが出来て、ママさんがどなたに----という表情をすると眉毛が貫禄を見せた。
「おい誰からでも行かんかい、わしは一番後でええ、払うもんが一番後や」
皆適当に順番を決めて好きなのをかけてもらって食べ始めた。
味に関しては、誰もあれこれとは言わなかった。
メンバーの一人が浮ついた声で言った。
「そやけど、えらい美人やね(ママさんのこと)、それくらい美人やったら、やれることなんぼでもありまっしゃろ、かき氷なんか、大変とちゃいまっか」
眉毛が叱った。
「こら!余計なこと言うな。人には皆事情があるんや」
「すんまへん、そないなつもりやおまへんねん。そやけど、うちのカカ(女房)と比べたら嫌になりまっせ」
すかさず誰かがツッコミを入れた。
「そらしゃあないで、それこそそっちの事情や」
皆一斉にわははと笑った。ママさんは照れ笑いのような困ったような表情だった。
「そやけど、真面目な話、繁盛したらええですね、お子さん連れて、車にも気い付けてくださいや」
眉毛は人間味のある人のようだった。
「残りがどうせ少ないから、良かったらちょっとずつ入れましょか」
一応の商売になったし、残りの氷は僅かだ。ママさんはここで終えるつもりだった。
「ああそうでっか、それやったらそこのガキらに食べさせてやってください。わしが払うときまっさかいに」
「わ、おっちゃんおおきに!」
私たちは飛び上がって声を揃えた。
「いえいえ、これだけ食べてくれはって、もういただけません。そしたらこの分この子らにサービスさせてもらいます」
「いやいや、ええんです。今日は面白かった。ちゃんと商売してください」
眉毛はジャリジャリと小銭を数えながら言った。
小銭と言っても現在とは重みが違う。大卒の初任給が一万五六千円の時代だった。
「わしは会社に戻るから、皆忘れ物しなや」と眉毛が言って、どうもごちそうさんと解散になった。
残った私達は眉毛に奢ってもらったかき氷を頬ぼっていた。ついている日もあるものだと私は思った。
「良かったねママさん、今日は繁盛やんか」
妙に可愛い声を出して篠田が言った。
「きょうはおおきに、いつもこれくらい売れると助かるわ」
機械を乳母車に入れて、帰り支度を終えてママさんは言った。
「この子、そこで用を足さしてくるから、悪いけど、これ、ちょっと見ててもらえる?」
ええよええよと私達は頷き、ママさんは小さな袋を取り出して、子供を公園内のトイレに連れて行った。
乳母車には色んなものが入っているようだった。氷を受ける金盥が眼に付いたが、他の生活用品の類も入っているようで、それらがコンパクトに仕分けられていて、私には興味深く思えたものだった。
ふと篠田が言った。
「お前、あの子どう思う」
「どう思うて…」
「ほとんど喋れへん」
「喋れへん…」
「口が効けんわけやないけど、俺らあれくらいやったころはじっとしてへんかったやろ」
「おっとりしてる子なんやろ」
言いつつも、私も一瞬沈むような思いにとらわれた。
「そやろかな、それやったらええけど」
篠田の表情は曇っていた。
私たちはしばらく言葉がなかった。
やがてふたりは戻ってきた。子供の手を引いて、急ぐでもなく、ママさんは穏やかな笑みを浮かべていた。
こういう性格の人なのだ。おそらくその性格を子供が引き継いでいるのだと、私は願うような感じで思った。
「きょうはおおきに、また来るからね」
麦わら帽子を被せてもらった子供に篠田がしゃがんで笑顔を浮かべた。
「車に気いつけや、ママさんにぴったりくっついてるんやで」
子供はこっくりと頷いた。
ママさんはベンチに置かれた日傘を手に持つと、さっと広げて、乳母車を押して歩き始めた。
去ってゆく二人を、私達は昨日と同じようにぼんやり眺めた。
水色の日傘が、やはり眩しかった。
続きます。