「おっちゃーん、おっちゃんらどこから来たん」
私は、ゲームの成り行きを見守っている四角い体型の男の後ろから声をかけた。工場の作業着のようなのを着たその人は守備にも攻撃にも着いていないようで、どうやら見るだけの付き合いのようだった。
男は振り向いて私達をジロッと見た。私達は一瞬吹き出しそうになるのを寸でのところで堪えた。もの凄く太い眉毛が真ん中で繋がっていて将棋の駒のような顔をしていたのだ。体型と顔の形が同じだ。しかし決して怖い系の顔ではなかった。
「なんや、どこの子やあんたら」言いつつも顔は笑っている。
篠田が答えた。
「僕らこの辺に住んでいるんやけど、おっちゃんらあまり見いひんから、どこの人たちかなと思うて」
「ああ、そうかいな、わしらはあっち方の工場のもんや、工場が二つあるからな、たまに対抗試合やがな」
男は彼方を指差しているが、それでわかるはずもない。方角は私達が通っている学校の方だった。
振り向いた男の胸のポケットに赤い刺繍で名前が入っていたが難しくて読めない。
篠田が訊いた。「これ、なんて読むのん」
「ああ、これかいな、これは鍍金や、メッキと読むんや」
「メッキ?メッキ言うたら学校の近くにあるとこやろか」
思い当たることがあって私が訊いた。
「ああ、あんたらあの学校の子か」
私と篠田は揃って頷いた。
学校の帰り道にちょっと寄り道したときに、今にも崩れそうな板張りの工場があることに気付いた。私は古いものや朽ち果てたものに子供の頃から惹かれるものを持っていたのだと思う。その貧しげな佇まいに妙な懐かしさを覚え、以来、時折用もないのにわざわざその工場の前を通って、回り道をして帰ることもあったくらいだ。
例えれば、ノアの箱舟のように建物の両側が上にそっくり返ったように歪んでいて、板張りも地面に近くなるにつれて朽ちて隙間があったし、開いた窓からアンモニアのような鼻をつく匂いがいつも漂っていた。私は道路に面した工場しか知らないが、狭そうな敷地に他にも工場があったのだろうか。
後に知ったところによると(例えばつげ義春氏の著作)、メッキ職人は肺をやられる悲惨さがあるそうだ。前を通る度に、ここで働く人がどんな人達なのか、そんなことを子供の頭でぼんやりと考えたものだ。
しかし眉毛のオヤジは随分健康そうだ。声がでかくて、身体つきもガッシリしている。工場は古くても職場はしっかりしていたのかも知れない。
「おっちゃん、きょうも仕事してはるん」
それとなく私は訊いた。
「なんでや」
「それ会社の服やろ」
「わしは管理職やからな、日曜日でも出ることがあるんや、子供には仕事の世界はわからんやろが、せっかく試合してるから、様子見に来たんや」
なるほどなるほどと、私も篠田も真剣な顔をして、いささかわざとらしく頷いた。
「今試合しとるの、両方ともわしの部下やがな」
「わ、凄い!偉いねんなあ」
「おだてよってからにこいつら」
と言いつつ、オヤジは満更でもないようだった。
話している最中にも、誰かが打つとオヤジは奇声をあげたりして応援していたが、試合は最終回を迎え、最後のバッターが三振に終わって試合は終了した。
「なんやお前、最後くらい一発いかんかい!」
三振した若いあんちゃんにオヤジが怒鳴った。あんちゃんは照れくさそうに頭を掻いていた。
タイミングを見計らって篠田が切り出した。
「おっちゃんら、喉乾けへん?」
「そやな、その辺で何か売ってるかな」
待ってましたとばかり、私は答えた。
「そこでかき氷売ってるよ」
「ほーん…」
オヤジは振り返って、茂みの向こうに見えるママさんをチラッと見た。
「へえ、若い人やな、なかなかべっぴんさんやがな」
「そやろ、僕ら、今食べたとこやねん」
「なんやあんたら、いっしょに売ってるんか」
「ちゃうちゃう、僕らも昨日知り合ったばっかりやねん、食べた後でママさんと仲良しになって…」
オヤジは私達を交互に見つめてニヤニヤしていた。しかしすぐにポケットに手を突っ込んで、もぞもぞと小銭を探り始めた。
「へへ…、そうかいな、よし食べよか」
言うと皆の方を振り返って叫んだ。
「おーいみんな、そこでかき氷売ってるみたいや、わしの奢りや、食べよや」
奢りと聞いて断るやつは居ない。ぞろぞろと若いのも歳を食ったのも集まってきた。
続きます。