雨霞 あめがすみ

過去に書き溜めたものを小説にするでもなくストーリーを纏めるでもなく公開します。

水色の日傘 8

ママさんと子供の姿が見えなくなっても、篠田と私は揃ってベンチに腰を下ろしてぼんやりとしていた。すぐに帰る気にはなれなかった。

私は眉毛がママさんを見たときに一瞬何かを考える風だったのを思い出した。あれは何だったのか。誰かに似てるとか、どこかで見かけたとか、或いは美人のママさんに一瞬見惚れたとか、精々そんなことだったのだろうか。

 篠田の言葉も気になっていた。ママさんの子供のことだ。しかし、あまりそれを言いたくなくて、別の話題を探っていた。すると篠田がぽつんと言った。

「あの人ら、メッキ屋とか言うてたけど…」

「知ってる、魔法瓶やな」

「魔法瓶か」

「俺、工場覗いたことあるねん、光った瓶がいっぱい立ってた。あれはきっと魔法瓶の中身や」

当時の魔法瓶はまだまだ割れやすい代物だった。私も遠足でうっかり落っことしたらもろくも割れてしまったことがあった。しかし世の中になくてはならないものになりつつあった。遠足に持ってゆく水筒が、女の子でさえアルマイトが普通だった。まだまだそんな時代だった。

 

「魔法瓶やったら、流行りもなにもないな、仕事は固いやろな」

子供のくせして篠田は現実的な思考が得意なようだった。

「工場ボロいけど、あの人ら、ええ人達やったな」

「おかげできょうはママさんも商売になったけど、いつもと言うわけには行かんやろ。それに、冬はどうしはるんやろ」

篠田が言わずとも、私もそれが気になっていた。かき氷など、涼しくなればもう売れない。しかも雨の日は商売に出られない。そんな効率の悪いことをいつまでやれるのか。

 「冬は冬で別の仕事しはるんとちゃうか」

私は答えたが、実のところそんなに気楽には考えられなかった。そんな仕事があったら、ずっとその仕事をやっていた方が良いはずだった。

「まあ、俺らが心配してもしゃあないけどな…」

篠田の言葉は沈みがちだが、それでもなにか考えているようだった。

「夏しかできひん商売やってはるんやから、その間にようけ稼ぎはったらええとは思うけど…」

そこまで言って私も私なりに思案した。

「もう一回でも試合して、そのときにママさんが商売できたらええと思うけど、昨日やったばっかりやしな」

私がそう言うと、篠田も黙って頷いていた。

 

ちょっとの間沈黙があったが、篠田がハッとしたように言った。

「いや、やれるかも知れんで」

「いやあ、やったばっかりで、そんな毎度毎度やれるかいな」

「それをやれるようにするんや」

「どないすんねん」

「徳田やがな」

「徳田がどうしたんや」

「鈍いやっちゃな、あいつ野球に関しては自信過剰なんやで」

「そやろな」

「そやろなてお前、もうちょっともの考えや」

この言い方はどうやら篠田の癖のようだった。割とカチンとくる奴でもあった。

 「いちいちそんな言い方するなよ」

「お前が気のない返事するからや」

「そんなことない、俺もええ手があったらと真剣に考えてるがな」

「あのな、自信過剰の奴ちゅうのは、その自信をけなされたりしたら頭おかしなってしまいよるんや。大体そういうもんなんや」

「そらまあな…」

「そやから、この前バカスカ打ったんやまぐれやと、そっちの組で言うとるとか吹き込んだるんや。自尊心傷つけたったらむきになりおるやろ」

「なるほど」

「そもそも前回はピッチャーが前の日下痢で体調崩してたとか適当なこと言うて、チーム全体が他のことに忙しゅうて、ろくな練習もしてなかった。けど、二回やったら今度は負けへん、いつでも受けて立つとか、えらい元気なこと言うとるらしいでとか、それとなく吹き込むのや」

「お前が吹き込むんか」

「やってみるがな」

「喧嘩になれへんかなあ」

「そこや、大体負け惜しみなんか誰でも言うもんやないけ、それでいちいち喧嘩になってたら話になれへん。それに、スポーツの勝負はスポーツで決めるもんやがな。それでないと人間がスタル。そう言うたら絶対喧嘩なんかになれへん。アカンで元々なんや、まあ任しとけや」

篠田は自信満々のようだった。しかもどうやら心底徳田が嫌いなようだった。

「そうなったらえらいこっちゃで、両方からメンタがまた応援に来るがな。今度は多分、昨日どころの話しやないで」

「えらい人数になるな」

「そやがな、それに徳田はメンタの前でええカッコできるんやったらいつでもオーケーやろ」

「水口やな…」

私は、自分でも己の眼がキラリと光るのを感じた。元々徳田は水口の前でええところを見せられるなら絶対に嫌とは言わない。

 こうなったら水口をどうしても引っ張っぱらねばならない。

 

問題はもう一つあると篠田は言う。

「問題は浅丘や」

「浅丘?」

「徳田がその気になっても浅丘がしぼんでたら試合になれへん。浅丘が事実上主将やからな」

「浅丘は前から野球上手いのは有名やな」

「ところが徳田が来てからというもの、すっかりお株を奪われた。浅丘としては全然面白ない」

「それで」

「徳田にちょっと恥かかせてやりたいと匂わせたら、少々面倒くさい思うてても浅丘は乗るで」

「こっちに抱き込むんか」

「抱き込む言うたら口悪いけど、その気にさせる方便やがな」

私は腕組みをして何度か頷いた。

「それにな、徳田を嫌うてるんは浅丘だけやないねん、皆嫌いやと思うで。何しろええカッコしすぎて他のメンバーを馬鹿にしとるらしいからな、あまり徳田にばかりええカッコさせてたらアカンとか、色々あるがな」

「そやけど、徳田は打つからな、またええカッコで終わるで」

「そこや、何かええ手がないか、その張り切りが空振りになるような」

私はしばらく思案した。

水口は恐らく徳田のことなど眼中にない。ないに決まっている。しかし徳田は水口が気になって仕方がない。鍵はその辺だった。

私はポンと篠田の肩を叩いた。「よし、任せとけ、やれるだけやってみよ」

「そうや、要は試合ができたらええんや、勝ち負けは問題やない」

私と篠田は互いに眼を見つめて、頷き合った。

 

続きます。