雨霞 あめがすみ

過去に書き溜めたものを小説にするでもなくストーリーを纏めるでもなく公開します。

水色の日傘--45

走ってきた吉田とキャッチャーの萩野がもつれ合って転んだ。転んでも萩野はしっかりボールを保持していた。際どいが、私には萩野のタッチが一瞬早いように感じた。

「アウト!アウトアウト!!」

右拳を二度三度突き上げて私はアウトを宣した。ここで躊躇すると信頼をなくすのだ。ワーッと四組女子たちから声援が巻き起こった。

「えーっ!嘘やーん」

吉田が起き上がりつつ、叫んで抗議した。三組のメンバーも一斉に駆け寄ってきた。主将の浅丘も詰め寄ってきた。打った高田も二塁に達していたが様子を見に戻ってきた。

浅丘は私の顔を睨んだ。「俺には殆ど同時に見えたで、お前にはっきりわかったんか」

萩野がニヤニヤして起き上がりつつ浅丘に向かった。「浅丘、観念せえや。そこを審判が見とるんやないか」

浅丘はやり返す。「審判言うても浜田は四組やろが、副審はどこ行ったんや副審は」

篠田は自分が呼ばれたので一瞬目を丸くしてこっちを見た。お店に忙しくて試合は眼中にないようだった。

 

私はピシャッと言った。

「副審は主審に何かあったら代行するのんであって、それ以外は特に何をしろと言う取り決めはありません!」

「なんで急に敬語になるんや」

「もっともらしい奴や」

「副審が遊んでてええんか」

皆が勝手にあれこれ言い始めた。外野も戻ってきて二人の中学生もやってきた。私はジャッジを譲る気はなかったが一応は悟君に訊いてみた。その位置からして悟君の方が田中君よりはよく見えたはずだ。

「あ、そっちからどう見えましたか」

「いや、こっちからはわからんで、遠いし一瞬やからな」

悟君はチラッと田中君を見遣った。田中君も黙って頷く。

「と言うことは殆ど同時や。同時はセーフやで」と浅丘。

「同時はアウトやろ」と萩野。

「そんな取り決めはないです」私はできるだけ超然とした態度を心掛けた。

そこへ徳田が割って入った。

「こんな時は、皆の合意でジャンケンで決めたらどうやろ。どっちが勝ってもきょうはええ試合やったで。合意で決めた結果やったら文句はないし」

萩野が反論する。

「審判が判定したんやで、そこで終わってるんや」

もっともな意見だ。しかし私は一瞬怯んだ。私のジャッジが何らかの遺恨が発生しかねない。それをずっと背負うのは真っ平だ。しばし思案した。

 

そこへ中学生の田中君が一案を出した。

「審判、こうしたらどうやろ。ここで揉めたら判定は重い。なにしろそれで試合が決まるのや。そこでやな、皆の合意があったらジャンケンで決める。しかし審判がアウトの判定をしているので、アウト側、つまり四組にひとつ勝ちを与える。それで先に三つ勝った方が勝ちや」

「おお、さすがに田中や。君ちゃんが惚れるだけのことはある」悟君がつい茶々を入れた。田中君はチロッと悟君を睨んだ。

黙っていた井筒が控え目に口を挟んだ。

「つまり四組はあと二つ取ったらええ、三組は三つ勝たんとあかんのやね」

田中君が応じた。

「そや、日本シリーズといっしょや。でもダラダラやるのもなんやから、ここは三つに決めよう。それでええやろ」

萩野が威勢を示すように言った。

「俺は審判の判定で本来は終わりやと思う。でもそれで皆がええのやったらそれに従う。それでええか」

四組のメンバーは皆頷く。もうしょうがない。

萩野がメンバーに向かって言った。「おい、誰かジャンケン得意なの居るか」

私は言った。「主将同士でええやないか」

「いや、俺、ジャンケンあかんのや。成績はええけどジャンケンはサッパリや」

「あほくさ」浅丘が白けた。「こっちは俺が決める。おい、安井、岸下、新井、お前ら行け」

三人は顔を見合わせた。「勝っても負けても知らんで」

浅丘は頷く。「ええねん、ここでそんなん気にすんな」

萩野も意を決した。「よし、それやったらこっちも決める。こっちは取りあえず二人や。森、太田、お前らで頼むわ」

三組と同じように二人は顔を見合わせた。何か言おうとしたのを萩野が制した。「ええんや、ジャンケンは時の運や」

 

こうしてみると、浅丘も萩野もどちらかと言えばチームの中でちょっとばかり影の薄いメンバーを選んだようだ。ふたりともなかなか良い面を持った奴なのだった。

私は宣言した。

「ええっと、両チームの了解なのでジャンケンを認めます。主審の最後の判定です。ジャンケンの結果を確認します。タイミングを揃えるように。はっきりとした後出しは反則負けにします」

「どないなってんのん」

「じゃんけんらしいよ」

女子たちも呟きつつ成り行きを眺めている。

「では、一人ずつ勝負。前へ」

即されて双方から一人出た。三組は安井だった。四組は森。主将に呼ばれた順だった。

安井は握り拳を作って目に当て、拳の中を覗くようにしている。当時流行ったまじないだ。

「ジャンケン!」

パッと出した結果、森も安井もパーだった。

あいこでしょ!」

今度は森はもう一度パー。安井はグーだった。

「森の勝ち、四組一点追加で二点目」

森が両手を挙げて喜び、萩野も満足そうに言った。「リーチやで」小学生の癖にリーチを知っている数少ない奴だった。

三組の全員が唇を噛みしめた。後がない。二人目は俺に任せろと岸下が出た。もしセーフを勝ち取ると同点になり、次の打者は岸下だった。一方四組は太田。

まじないもなしで勝負はすんなり決まった。岸下がパーを出し、太田がグーだった。

「岸下の勝ち。三組一点」

岸下が気勢を上げて胸をキングコングのように打った。

萩野が次を指名した。「福永、あとひとつで勝ちや。名手のお前で決めたれ」

福永は一応呟く。「守備とジャンケンは関係ないけどな」覚めた部分のある奴だった。

三組は新井。二人はお尻に回した拳をジャンケンポンで一気に突き出した。新井はチョキ、福永はパーだった。

新井の勝ち。三組二点目。同点。ムムーッと萩野が唸った。

 

私は念のためもう一度確認をした。

「ジャンケンは現在同点です。次のジャンケンで、もし四組の勝ちならアウトの判定通りここでゲームセット。一点差で四組の勝ち。もし三組が勝ったらホームインが認められて同点。その場合打者の高田君もランナーに残ることになります。残念ながら主審は高田君がどこまで走ったか確認できていないので塁審に判定を願います」

悟君は何度か頷いて「一応判定が出る前に二塁には来とったな」と言った。

「ではその場合はツーアウトランナー二塁からの試合継続にします。それでいいですね。どっちにしても、この七回で試合は終了です」

浅丘はメンバーを振り返った。「ここで生き死にが決まるで。誰か行け」

その時徳田が言った。「ここはピッチャー同士でどやろ」

萩野が応じた。「そらええ、おい橋田。一世一代の勝負や。いてもたらんかい」

三組は福田が出た。「知らんで負けても」

橋田も言う。「俺も、結果は知らんで」

言うまでもない。ここへきて結果に文句をいう奴などもう居ないのだった。

じゃんけんじゃんけん!皆が大きな声でタイミングを揃えた。

ポン!で二人は同時に突き出した。皆の眼が一斉に注がれた。

 

続きます。