雨霞 あめがすみ

過去に書き溜めたものを小説にするでもなくストーリーを纏めるでもなく公開します。

水色の日傘--44

打球はセンター方向に高く上がった。体格のある長谷川の自力だろうか。大根切りにしては不思議な打球の上がり方だ。しかも大きい。センターの森が懸命に追った。吉田はためらい走りで飛んでいく打球を目で追った。

突然浅丘が叫んだ。

「抜けるぞ、走れ!」

吉田は指示を信頼して走った。しかし意外にも打球が高く上がり過ぎていた。深いところまで走った森が捕れそうな気配を見せた。

浅丘がまた叫んだ。

「あかん、戻れ!」

「そんな…殺生な」

吉田は息を吐きながら慌ててファーストへ戻った。森からの返球を一旦福永が受けて振り向いたが吉田は無事にファーストに戻っていた。ツーアウトランナー一塁。

 

「惜しい、もうちょっとやったな」

徳田が激励ともとれる形で長谷川の背中を叩いた。

「あかん、緩い球につい色気がでてしもたわ」

「いや、あれは森がよう捕ったわ。普通は越えてるで」

いつにない徳田の言葉だ。嫌な奴でしかなかった徳田に何か変化が起きている。長谷川はそう感じた。

 

主将の浅丘が気合を入れ直した。

「行けるいける、まだ行けるで」

一点差。長打が出れば同点の可能性がある。次のバッター高田には長打がないが足が速いのでチャンスは充分にあった。少しずつ塁を進めることができれば良いのだった。

浅丘が高田に耳打ちした。

「お前は足が速い。行けると思うたらバントでもええで」

高田は頷いたがその気はなかった。こんなどん詰まりでバントヒットなんかあるものか。滅多にないチャンスだ。ここで長打を打てれば一躍クラスの人気者だ。しばらく女子たちの間で噂が続くだろう。目の前にバラの花が浮かぶ感じだった。

 

こうしている間にも私はチラチラと篠田やママさんたちが気になった。折角準備ができてもここから時間を喰うと氷が溶ける。はっきりとは分からないが篠田があれこれと女子たちに持ちかける声が聞こえる。なかにはママさんたちと馴染んで世間話をしている女子もあった。

試合が終わったらどれだけの人数をその気にさせるか、私はそればかり考えていた。心配そうに見る私の眼と篠田の眼が合った。篠田は私の顔をしっかり見つめて何度も頷いた。緊張が増していた。ここまでやってきて、商売にならなかったじゃ話にならないのだ。

 

「おい、浜田主審、試合するで」

気を取られている私に萩野が声をかけた。

「おお、すまんすまん。そやけどきょうはええ試合やな。滅多にない試合や。せっかくかき氷を売りき来てはるし、終わったら皆で好試合を祝して食べよやないか」

私にしては精一杯のセールスを試みた。

「かき氷な、それはええな。そやけど今は試合やで浜田主審」

萩野の一言で随分と気が楽になった。萩野は食べる気になっている。萩野が食べれば追従する者が多いはずだ。

「おーし、ここから双方正念場や。気合い入れるで」

「審判が気合入れてご苦労なこっちゃ」

萩野は笑いながら構えに入った。横で何度も素振りをしていた高田はその雰囲気からしてどう見ても大きいのを狙っていた。

 

橋田はしきりに萩野の構えを見る。点は取られているがきょうは勝っているので前回の試合とは雰囲気が違っている。きょうの橋田はエースのノリだ。

高田に大きいのはないから気を付けねばならないのは間を抜かれることだ。ランナーの吉田も決して遅い方ではない。しかし高田本人は思い切り振り回すつもりだった。スターになるか平凡に終わるかのどちらかだ。

橋田は初球からストライクしか考えない。高田など、ここは意気で押さえるつもりだ。短打を打たれてもまず点は入らない。後のバッター岸下と、どちらかで取れれば良いのだ。

ほぼ真ん中に入ってきた球を高田は強振したがチップになって後ろに上がった。瞬間萩野が立ち上がって身体を伸ばしたが捕れない。

徳田が声を張り上げた。

「ええ振りやええ振りや。行けるで!」

二球目は外を見送ってボール。カウントワンワン。三球目、橋田は力を込めたストレートをやはり真ん中付近に投げた。これを高田は待っていたように強振した。

パコン!と一瞬良い音がしたが打球にあまり勢いはなかった。しかしサードを越えた辺りの際どいところにポテンと落ちてファールゾーンへ転がって行った。中学生審判の田中君がすかさずフェアのジェスチャーをし、レフトの太田が懸命に追ったが、捕球に手間取りそうな気配があった。吉田は行けると判断してまっしぐらに走った。

ワーッと全員から歓声があがった。太田は樹木の陰に転がって行きそうな球を一旦は掴み損ねたが、直ぐに掴み直して手を広げているサードに送った。吉田は既にサードを回っていた。サードの桜井は守備が固く肩も強い。太田からの返球を受けるなり素早く振り向いて構えを見せている萩野に力一杯送球した。

 

吉田は今にもホームに届きそうだった。速い球がそれを追い越すように萩野のミットに達した。吉田が滑り込むのと萩野のタッチはほぼ同時に見えた。

皆の歓声が一斉に止んだ。全員の眼が私のジャッジを見つめていた。

続きます。