雨霞 あめがすみ

過去に書き溜めたものを小説にするでもなくストーリーを纏めるでもなく公開します。

水色の日傘--40

「おう篠田、ママさんきたか。それにしてもゆっくりやな」

「贅沢言うたらあかん。子供連れてんねやで、そないスタスタ歩けるかいや」

「それもそや」

私は相槌を打った。

「それにな、氷がどんどん溶けて、一旦買いに行かはったんや」

「成る程、そんなこっちゃったんか。けど、お陰でちょうどええとこや、最終回やがな」

「どっち勝ってるんや」

どうでも良いけれど一応訊いて置こうという感じで目つきだけは真剣なのだった。

「うちが勝ってるで、ありえんこっちゃろ」

私がそう答えても篠田は頷くだけであまり関心はない。何があっても七回で終わりだが、下手に同点、或いは逆転などになって四組の攻撃があるよりもこのまま終わった方が良いのだった。

「子供の手を引いてママさんも大変や、お前ママさんにくっ付いて見守るんや」

「言われいでもやがな、けど、もうそこまで来てはるんや」

「そやったら店開くの手伝え」

「当たり前やがな、ここでママさんに稼いでもらわんと折角の苦労が台無しやからな」

篠田はそう言ってまた駆けて行った。ママさんのことは篠田に任せっきり大丈夫だ。後は試合が何とか後味の良い状態で終わってくれたらと願うのだった。多分、後味ひとつで売れ行きも違ってくる。ここはなんとしてもその形にしたい。

 

一方で吉田はバットをぶら下げて浅丘と徳田と何やら話し合っていた。
吉田はまだ幾分徳田に膨れっ面に見えた。

浅丘が言う。

「吉田、お前にはしばらく補欠に回ってもろて悪いことをしたけど、きょうは全員参加や」

吉田は眉を波打たせて黙っている。

「俺はちょっと脇腹痛めてな、ここはお前に一発行ってもらいたいんや」

徳田が重ねた。

「お前には悪いことしたと思てるがな、でも悪気があった訳やないねん。今はとにかく、練習したらどこでもやれるがな」

徳田にしては殊勝な物言いを吉田は猜疑の目で眺めた。何だか気味が悪い。徳田は構わず続けた。

「そやけどな、お前はバッティングはイケてると思うで、浅丘の代打で一発行ったれや」

吉田は伏し目がちに小さく頷いた。ずっと補欠にしやがってと、腹の中では拘ったものがあるだろう。早く言えば拗ねているのだが、解からぬでもなかった。

 

萩野が双方にチラチラと目を遣って呟いた。

「なんや一体、あっちもこっちも座談会かいな。世の中偉いこっちゃな」

私は萩野に言った。

「吉田が出そうやな、浅丘の代わりに吉田や。あっちも色々あるんやろ。ちょっとバット振ってもろて身体をなましてもらうから、その間橋田とピッチングでもやっとけや」

正直言うと、私はママさんの姿がいつ見えるか、そっちが気がかりだった。多分きょうは四組が勝つ公算が強い。しかし勝負はどうでもよかった。

徳田は更にボソボソと吉田に呟く。

「ずっと四組のバッティング観てたけど、前とはえらい違いや。多分あいつの影響や」

そう言いつつ徳田はファースト付近に突っ立っている井筒の方へチラッと目を遣った。吉田も真似るように井筒をチラッと見た。

「前と違うのは、どうやら当てる練習してきおったんやと思うけど、それが普通にチョコンと当てるのと違うのや。その瞬間に力が入ってるがな。お前は元々当てるのは上手い。なにかヒントにならへんやろか」

徳田の言葉を受けて吉田は黙って頷く。なんとなくわかるものがあるけど、やるとなると難しい。極意のような話だ。しかし元々大きいのは飛ばないが単打で鋭い打球が吉田の持ち味とも言えた。

浅丘が吉田の尻を叩いた。

「行け!きょうは勝負は度外視や。買っても負けてもここは一発バシッと行ったれ」

 

区切りの良さそうなところで私は吉田に声をかけた。

「吉田。二三回バット振ったらボックスに入るように」

吉田は一応の恰好を付けてバットを振る。そこまで言われたら拗ね気味の吉田もその気になるのだった。目つきまで変わってビュッビュッとスイングする。素振りは誰でも格好いい。名は忘れたが、誰かのスイングに似ている。皆誰かに似せているのだった。飽くまで素振りの話だが。

「よし、ほなら行くで」

私が一声かけて、いままさにプレーを叫ぼうとしたその時、後ろから突然大きな声がした。

「浜田!」

篠田だった。振り返ると篠田がママさんとその子供と一緒に並んで公園に入ってきたのだった。

ママさんはやっぱりあの水色の日傘をさしていた。薄い花柄のワンピースの上部が微妙な影に包まれて、まるでイタリア映画のシーンのようだった。

ああ遂に、いよいよママさんが来たのだ。

 

続きます。