ハアハアと走りながら萩野は私に訊いた。
「あっちの市場、いっちゃん行きやすいのはどの道や」
公園の前のバス停から二つ目の停留所の前に市場がある。自分たちは普段利用しない市場だが、何度かは訪れたことがある。
「どうでも行けるがな。どこ回っても似たようなもんや」
「ほな、どう回るんや」
町内を升目に仕切って道路が走っているからどこを行っても距離は同じだ。しかし道の採りようによってはママさんと入れ違えになる可能性もあった。
「乳母車を押してるんやからいきなりバス通りには出やへんやろ」
「ええ推理や、それくらい頭働かせたらお前の成績ももうちょっと上がるんや」
「よけいなお世話や」
走りながら嫌なことをいう奴だが、どうせ誰がどの程度の成績かなどは大体はバレているからしょうがない。私はすっと話題を変えた。
「それにしてもお前、妙に熱心やないか。もしかしてママさんに気いあるんとちゃうか」
萩野はとぼけた。
「あほ、俺はタダの親切や。子連れでかき氷売ってはる。なんかあるに決まってるやんけ」
「うまいこと言うてからに…」
と言ったが、やはり萩野もそこが気になるのであったろう。美人だが、ママさんの風貌も見ようによっては痛々しいものがないでもなかった。
「気になるのはお前らもいっしょやろ、篠田が大体なにをやってるんや」
「ああ、篠田なあ、困ったもんやあいつも」
別に何も困らなかったがそう言って置くしかなかった。
しばらく走ると直角に交わる別のバス通りにでた。目的の場所には一旦これを超えねばならないが、右に曲がってまっすぐ行くと公園からのバス通りと交わる。
互いにここで思案した。
「どうする」
言いつつ私は萩野の顔をみた。
「下手したら行き違いになるな、今まですれ違わんかったのは、別の道通ったんかもな」
「時間から考えて、店に行ってもまだ居るはずがないからな」
「あっちのバス通りに出てグルッと回って公園に戻ろう。途中で追いつくと思うわ」
「俺は多分もう戻ってると思うで」
案外そんなことではないかと私は思った。私たちは時々は休みつつもハアハアと走った。真っすぐ走って大通りで右に曲がり、また大通りに出て右に曲がる。石鹸箱の外を走るようなものだ。すると、もう公園に近いところでようやくママさんの後姿を見つけた。日傘で頭部を隠して、誰かと立ち話をしていた。相手はどこかの主婦だった。主婦は日傘を差していない。
「ちょっと待て」
萩野が言って、私たちは立ち止まった。
「なんやいったい」
相手の主婦の顔がこちらから見えた。婆さんに一歩手前のどこにでもある大阪顔の不愛想で、眉をしかめて不愉快そうに見えた。何を言われているのか、ママさんは何度か頭を下げているようだった。突っ立ったまま様子を見ていると、しばらくして二人はようやく離れた。そのままママさんは歩いて行く。その後姿はどことなく元気なさそうに見えた。
主婦はそのままこっちへ歩いてくる。大きく見えてくるに連れその顔はいかにも一般的に子供が嫌いそうな嫌な顔をしていた。
私は萩野に耳打ちした。
「どこのおばはんや、顔よう見とけ」
「わかってるがな、おれは記憶力はええんや」
私たちはすれ違いざま主婦の顔をじろっと見た。主婦は--なんやこの子ら--と言わんばかりの増々憎々し気な顔になった。
ガキタレ二人にジロッと見つめられて変だと思ったのだろう。ちょっと行ったところで振り返ったら主婦も振り返ってこっちを見ていた。
「知らん顔しとけ」
「わかってるがな」
萩野が命令口調なので私は多少ムッとしたが、とにかく気付かれぬように私たちはママさんとの距離を詰めずに関係ないを装って歩いた。
「長い事何か言われてたんかな」
私はちょっと心配になった。かき氷を売っていること自体を何か言われているのではないか。そんな気がしたのだ。
「知り合いの仲の悪いおばはんやろ」
萩野は単純にそう言ったが、私は心配だった。あの顔はママさんに悪意を持っているに違いないのだった。その間に氷もかなり溶けてしまったのではないか。もったいないなあとも思うのだった。
やがてママさんは公園の入り口に差し掛かった。出て行った時と逆の入り口だ。その姿が見えたのか、待っていた連中から声があがった。
「あ、きたきた!」
私たちはそこでママさんに駆け寄った。
「ママさん、なかなか戻ってきやへんから心配したわ」
私が弾むような声をかけたら、ママさんは振り返ってごめんねと言った。
「ちょっと知ってる人に遭ってね、話し込んでしもて…」
ママさんは笑っていたが、その笑顔はこころなしか造り顔のように見えた。
続きます。