雨霞 あめがすみ

過去に書き溜めたものを小説にするでもなくストーリーを纏めるでもなく公開します。

水色の日傘 10

それにしても上手すぎる成り行きだ。いったい篠田はどうやったのだろうか。

訊いてみると、ことの成り行きは意外だった。

「あのな、俺も思うてもみんかったわ」

篠田はしかめっ面でもなく笑うでもない顔を浮かべて唸るように呟いた。

「あいつな、他のメンバーを馬鹿にしとるやろ、元々反感持たれとるし、それで新井がぼやきよったんや」

あんなのはまぐれや、ええカッコしよってからに----とまあそんなことを言ったらしい。新井は外野を守っていたが、徳田にしょっちゅう注文を付けられていた。

聞こえていないはずの徳田が詰め寄った。新井は慌てて四組から聞こえてきた噂だと言ってごまかそうとしたが収まらない。それで浅丘が間に入った。それでも徳田がぶつくさ言うので篠田が話を持ちかけた。

 「隣でどんな噂しても放っといたらええがな、隣は隣や、お前も負け惜しみ言うことくらいあるやろ」

しかし徳田は眉をしかめたままで、浅丘は、面倒な奴だという顔で徳田を睨んでいた。

「もしなんやったらもうひと試合して実力見せたらええがな、続けざまやけど、別に俺はかまへんで、浅丘もええやろ」

浅丘は面倒そうな顔をしていたが、元々野球は好きなのだ。

「そらかめへんけどな…」

浅丘がそう言った以上決定だった。

「よし、それならそうしよう。今度徳田がまた打ったら、今度は新井も徳田の実力は認めなあかんな」

篠田がそう被せると新井も頷くしかなかった。「そらまあな…」

すると徳田がいきなり四組に駆け込んだ----と、そういうことのようだった。

「結構なこっちゃ、成り行きでそうなったんやから苦労も要らんかったやないか」

私がそう言うと篠田はヘラヘラと笑い始めた。

「うちのおかんと成り行きには逆らえんからな」

篠田のおふくろさんを知らないが、篠田もなにやらそれなりの苦労はしていそうだった。

 

結局、萩野と浅丘が話し合って再試合をすることになった。

浅丘は眼を丸くしていた。「萩野はごっつ機嫌悪いで…」

それはそうだろう。徳田がねじ込んできた時に浅丘等も隙間から覗いていたから事情は知っている。

話が決まると四組のメンバーは目つきすら変わっていた。授業どころではない。掃除当番に当たっている者でさえ授業を終えると疾風のように居なくなった。

「ええねん、掃除くらいうちらがやっといたる」などと女子たちも可愛いことを言ってくれるので、彼女たちもすっかりその気になっているのだった。

「見事なもんや、このまとまりが四組の真骨頂や」などと、何もしない級長の江口すらしたり顔で言い始めた。

この分では四組のほぼ全員が応援に駆けつけるのではないかとさえ思われた。

 

秘密の空き地などと言ってもたいしたものではない。某宗教団体の建設予定地として最近更地になったところを目ざとく見つけた奴が居て、勝手に使うだけの話だ。

早速の練習が始まると、やや離れたところでぽつんと突っ立って眺めている奴が居た。

あれは誰だと私も皆といっしょに眼を凝らした。

橋田が素っ頓狂な声をあげた。

「イタチや、イタチやがな」

よく見ると運動音痴の噂がある井筒ではないか。その井筒が、なんとバットとグラブを抱えて立っている。

井筒建男----口数少なくひょろっと背の高い影の薄い存在で、皆略してイタチとあだ名していた。顔もイタチに似ていなくもなかった。運動は全然ダメで、彼が野球をしている姿など誰も見たことがない。その彼がバットとグラブをぶら下げているのだった。

 

萩野が叫んだ。「イタチ、お前なにしてんねん」

井筒は叱られた者でもあるかのようにとぼとぼと近寄ってきて、犯罪を白状するかのように申し訳なさそうに呟いた。「俺も、入れてくれんやろか」

萩野は訝しげに訊いた。

「そらかめへんけど、お前、野球なんかやったことあるんか」

私もつい言ってしまった。

「お前、逆上がりもできひんやんけ」

別に意地悪で言ったわけではない。井筒は普段体育系は全然苦手なのだ。少なくとも学校ではそうだった。

「野球と逆上がりは違う…」井筒の言葉は消え入りそうだ。

私は井筒が気を悪くしないように弁解めかして言った。

「いやいや、井筒でさえやる気になってくれてるんやったら頼もしい限りや」

萩野が訊いた。

「打つのと守るのとどっちが得意や」

「いや、別にどっちと言うて…」

「まあええわ、いっぺん打ってみるか」

萩野はそう言って橋田を呼んだ。橋田は了解してバッターボックスに入るよう井筒に合図した。右投げの癖して手首をクネクネと上にあげながら揺らして、あの大投手の金田の真似をしていた。

「真似だけは一人前や」笑うように萩野は呟いてしゃがんだ。萩野はキャッチャーだ。
 
驚いたことに、井筒はなんと左バッターに立ったのだ。井筒は普段右利きだ。

「ほんまかいな」

橋田は笑いながら軽く山なりの直球を投げた。それを井筒は無造作に、まるでよそ見でもしながらであるかのようにポンと打ち返した。

鋭い打球がセンター後方まで飛んで行き、皆は呆気に取られた。

萩野が思わず立って叫んだ。「もう一球行け!」

橋田の顔色が変わった。今度は歯を食い縛って投げ込んできた。それをまたもや、事も無げに、まるで魔法使いが箒で塵でも払うかのようにセンターへ打ち返した。まるで力んでいない。しかも球はさらに遠くへ飛んでいる。

打球が嘘のように伸びていく。私達は呆気にとられた。

萩野が感銘を受けるかのごとく呟いた。「徳田とええ勝負や」

それを受けて私はしたり顔で言った。「いや、力んでない分徳田より上かも知れん」

萩野は私の言葉など聞いてもいない。

「守備はどうや」

井筒は守っても上手かった。流れるような守備だ。しかもどこを守っても上手い。

皆口々に言った。「凄いな」

思わぬ成り行きの連続に私も呆れるばかりだった。

 

続きます