雨霞 あめがすみ

過去に書き溜めたものを小説にするでもなくストーリーを纏めるでもなく公開します。

飯田木工所の赤木さん--27

嫌な予感がした。たった今の専務の顔。完全に邪推して憎悪に歪んだ顔だった。今でさえ敵意を持たれている。以後は倍するかもしれない。そうなったとき、さらに我慢するのか。倅というだけのあんな若造、いくら使われている身だからといって、なんでそこまで我慢する。幸平の頭にはいざとなったら居直ってやろう。逆にこっちが怒鳴りつけてやるんだと、そんな考えが浮かんでいた。専務を怒鳴りつける自分の姿さえ思い浮かんだ。

帰り道、自転車を漕ぎつつあたりの風景を眺めて、周辺の事業所と思われる建物を探すのだった。あそこにだってもしかしたら求人の貼り紙があるかもしれない…。働き口のない人間の、これが情けなさだった。兄の洋平がもしマネージャーになれたらどれくらい給料があがるのか、いやいや、そんな増加分などしれている。いくらでもないはずだ。だいいちなれるのかさえまだはっきりしない。幸平は兄ほど気楽な性格ではなかった。だから、次の目当てがない限りはなるべくの我慢をするしかないのだった。さりとてどうやって仕事を探すのか。職安も求人誌もほぼ無意味。これは経験だった。走りながらも同じことばかりあれこれと考える。

 

途中、八百屋ともコンビニともつかぬ店に立ち寄って総菜と弁当を適当に仕入れた。しおれた花など値引きもしないで売っているしけた店だったが自前の総菜やご飯を並べてくれているのでありがたかった。兄の出勤日など、母と二人だけの時は夕食の支度をさせるのは酷なので簡単に済ませるようにしていた。母には遺族年金がある。なるべく長生きしてもらってこれを大事にしなければならない。とにかく三人の収入を合わせて質素に暮らす。その間に何かあっても持ちこたえられる程度の貯えを作って置く考えだった。

食事をしながら、多少は心配なのか「仕事はどうや」と母がたまに訊くので、まあ何とかなっているから心配するなと幸平も言うしかなく、それよりもむしろ母を一人にしている方が心配で、それを思えば今の仕事も長くは続けられない。自宅でできる仕事をなんとか掴むことを考えねばと心が焦るのだった。ひとりの時はとにかく火を使うな、誰かが来ても絶対に出るな、とだけ厳しきって置いて仕事に出る。この毎日だった。母はテーブル代わりのこたつに座って背もたれでウトウトしながら一日編み物をしている。時々はそのまま寝ている。それだけを見れば一応は平穏だった。だが長くは続かないことも明らかだった。

 

夕食の後はパソコンを起ち上げてネットで仕事を検索する。いくつかのサイトを時間をかけて眺めるが、もうそれすら無駄に感じていた。可能性のある所は一応メモして履歴書を送ったこともあるが、多くは断られ、時には返事すらないこともあった。

簡単にシャワーを浴びて横になると、何故か赤木さんのことが思い浮かんできた。赤木さんの一家はどうなっているのだろう。子供の頃はどうだったのだろう。あの雰囲気だから学校生活が楽しかったとはとても思えない。多分、周りからは無視されるか馬鹿にされるかの人生だった。高校へ通ったとはとても思えない。中学を卒業してそのままどこかに就職した。だいたいの想像はつくが、どこも楽ではなかったろう。話し方ひとつとってもコミュニケーションで躓くだろうし、職場付き合いと言えるほどのものもなく、なにかひとつ、希望をもって生きてきたのだろうかと、他人を考えている状態じゃないのに、今の自分と比べてしまうのだろうか、妙にそんなことが気になる幸平だった。