雨霞 あめがすみ

過去に書き溜めたものを小説にするでもなくストーリーを纏めるでもなく公開します。

飯田木工所の赤木さん--4

三か月はあっという間に過ぎた。情報誌を頼りにあちこちに履歴書を送ってみたが全て無駄だった。そもそも情報誌には幸平が関わってきた専門分野の求人など端からなかった。条件を変えてダメ元で送ったところも幾つかあるが、履歴書の返送すらしない会社があった。そんな会社にもし雇われても果たしてどんな結果が待っているだろうか。

結局都内にいても仕事はないのだった。

この時点で両親に会社を辞めたことを伝えた。余計な心配をかけるのでなるべくなら黙っておきたがったが、こんな状態ではアパートを引き払うしかなくなったからだ。仕事がないなら経費を削減するしかない。

うんざりする距離を電車に乗って家を訪れ、父母に説明した。

「どうなるのん、大丈夫なん」

母は心配そうだったが、それなりに蓄えもあるし二人には年金もある。ここへ越してきたのだからここで働くのも悪くはない。探せば仕事くらいあるだろう、そう心配することはない--と言って安心させたが、父はどう受け止めているのか、ただぼんやりと聞いていた。

実際ローンは重荷だったが、ここは苦しいときであるから兄にも家にいくらかを入れてもらい且つ二人の年金を合わせれば、なるべくの節約をしてしばらくは何とかなる。しかしずっとこのままが続く保証はない。特に父は老齢で、しかも一度脳梗塞を起こしているのでいつ何があるかしれないのだった。

そんなころ、兄の洋平から会社の再編があると言ってきた。突然経営者が変わったと言うのだ。少々色っぽいホテルだったものが今度は完全なラブホテルになるらしい。

「なにもな、今までも事実上そうやったんや、外壁塗り直したり看板桃色にしたりで、ちょっとゴージャスにイメージ変えるらしいで」

幸平以外の三人は関西弁のままだった。

クビになるのかと訊けば、そうではなくて以後は自宅からの通勤になる。交代制で二日に一度の出勤。給料は、もしかしたらちょっと上がるかもしれないとのことだった。

それは何よりだった。兄は大変かもしれないが、せっかく家があるのだから家から通えば良いのだ。今までだってタダで寝泊まりさせてくれていた訳じゃない、幾分かを引かれていたのだ。ちょっと距離はあるが二日に一度なら我慢の範囲だ。これからは弁当を持たせて小遣い制にすれば兄の収入はかなりあてになる。賭け事は厳禁だ。事業を畳むときに幸平が面倒をみたのであって、いまさら嫌だのなんだのは許さない。以後は金銭の管理も幸平がすることになった。そうせざるを得なかったから強く言ったら、しょがないなと洋平も不承不承納得していた。

32坪の4LDK。そこに一家四人が住むことになった。狭い所には慣れているが、幸平の仕事道具が多かったのでいきなり窮屈になった。しかしこの方があらゆる面で合理的だ。

自分が仕事がない状態で苦しいけど、これも粘り強く探せばいつかは見つかる。これからは兄もいっしょだし、家族がまた四人で暮らせるのだ。できるだけ長生きしてもらって年金を少しでも多く受け取る。そうしているうちに自分にも適当な仕事がみつかるだろう、そう言って納得させた。

年寄りだけでは心細いと思っていた父も母もこの状態を一応は歓迎しているようだった。

 

続きます。