雨霞 あめがすみ

過去に書き溜めたものを小説にするでもなくストーリーを纏めるでもなく公開します。

飯田木工所の赤木さん--2

そう言えばこういうこともあったな…。飲むにつれ幸平は思い出す。遥かに昔の忘年会。半ば無礼講だから、社長の言に絡んで悪ふざけを言い合った。社長は上機嫌で笑っていた。すぐ隣に座っていた幸平もついそれに乗っかってしまった。途端に社長は態度を急変させて幸平の腕を引っ叩いた。一瞬--キッ!--となったのだ。

迂闊だったと思った。ずっと前から、いつの間にかそうなっていたのだ。幸平以外の、一体誰にそんな態度をとるだろうか。とっくにひとりだけ違っていたのだ。終始笑って済ませていたが、ある種決意させるものがあった。

しかし表面は何もなかったように、幸平は会社と付き合った。稼ぎを捨てる訳には行かなかったし、他がやりたがらない仕事を幸平に回せるので会社も捨てられなかったのだろう。しかしそれも徐々に、ドロドロに醸成されて今に至った。

いや、もうよそう。終わったのだ。もう二度と彼らと会うことはない。ここから先のことを考えるのだ。時間はある、慌てることはない。蓄えもそれなりにあるし、少なくなったとはいえ雇用保険もある。三か月間、その間に職探しをするのだ。狭い業界とはいえ別に会社同士で遠慮があるわけでもなかろう。まず慣れた職種から始めて、それがなければ働けるものならなんでもよい。遂になければ、仕事場にしているアパートを引き払えばその分は浮く。両親には年金もあるし、いきなり切羽詰まることはない。

ふと気付けば、朝から飲んでいる連中がとっくに出来上がっていて賑やかだった。この居酒屋はあまり品の良い店ではないし、危ない輩も飲んでいるので有名だった。幸平は納品を終えての帰りにいつからか立ち寄る習慣になっていたが、いつも見かける輩も少なくない。こんなに毎日飲んでいて一体どんな仕事をしているのか。そんなことが普段でも多少は気になる幸平だったが、今は随分気になった。とにかく彼らは職がある。収入がある。そう思うと、今の自分とは別世界の人間のように思えるのだった。

けじめのつもりで幸平は飲んだ。いつになく飲んだ。立ち上がるとやや足がふらついていた。一旦は駅を目指したが、電車には乗らなかった。歩いて帰ろうと何故か思った。街を彷徨いたかった。まだ明るいのだし方向さえわかればアパートには辿り着ける。街中で遭難することもない。

賑やかな人混みに紛れて幸平は歩いた。このまま野垂れて噂にでもなれば、社長はどう思うだろう。鼻で笑うだろうか。

ぼんやりと両親の顔が浮かんだ。そうだ、自分がくたばるわけにはいかない。絶対にくたばるものか。

歩きながら幸平は唇を噛んで拳を握りしめた。

 

続きます。