幸平はあるとき何気に山ちゃんに訊いてみた。
「ここではたまに皆で飲みに行くようなことはないのですか」
答えは素っ気なかった。「ねえよ」
「でも山さんは飲める顔してますがね」
「顔で飲めるかよ酒が」
「でも、だいたい飲める人はそういう顔をしているので」
「飲めるほどの給料があるかよ、人を安く使いやがって」
いくらもらっているかしらないが、山ちゃんの顔は憎悪に満ちていた。
「なんだあんた酒好きなのか」
そういう山ちゃんはニヤリと笑っていた。
「まあ、嫌いじゃないですね、そんなに飲めないけど」
「飲みたい奴がいるかねここに」
「どこでも職場というのはたまの集まりをもって飲んだりして親睦を重ねるものだと思うけど」
へっへっへ、と山ちゃんは笑った。
「俺は御免だ、ここの人間と飲むなんて。あの婆ぁと飲めるか、小僧(専務のこと)と飲めるか、だいたいあのオヤジと話ができるか」
「でも働いている人どうしでってことも…」
「そいういう職場じゃねえんだよここは」
そういって山ちゃんはフンと笑った。
奇妙な職場だと幸平は思った。大体どこでも仕事帰りにたまに一杯付き合ったりするものだが、それがまったくない職場というのを始めてみた感じだ。
「私が誘ってもダメですかね」
幸平がそういうと山ちゃんはチラッと幸平を睨んで言った。実際幸平は山ちゃんが嫌いではなかった。喋ると意外に面白いのではないかと思っている。
「俺は酒癖悪いぞ」
山ちゃんに関しては脈はありそうだった
実は幸平はいつか赤木さんを飲みに誘う考えを以前から抱いていた。別に特別な関心があったわけじゃないが、幸平は幸平で作業者どうしでもう少し緊密になれないかと漠然と思っていたのだ。あまりにも使用者一家が下品すぎる。顎で使うというが、幸平に対して専務はまさにそのタイプだった。婆さんはいつも不機嫌、しかも作業者どうしが表面はともかく互いに馬鹿にし合っている。映画かなにかにしかない感じだ。
そのことで赤木さんに声をかけた時、赤木さんは前歯の抜けた口を大きく開けて「あー」という声だけ発して笑った。嬉しそうだと幸平は思った。赤木さんは周辺のいくつかの居酒屋で払いのことで出禁になっている気配だが全部というのでもないだろうし、それで山ちゃんにも声をかけたのだが、後で考えれば少々うっかりしていた。赤木さんはどうやらあまり風呂に入らないので隣に座るときっと臭う。一緒に仕事をしていて今でも臭う。休憩時間は赤木さんが隅っこに座るのでわからないのだった。しかも、歯の抜けたあの口で何かしゃべろうとしたときにかなり唾が飛んでくる。飲むと態度が変わるのかどうか幸平はしらないがこの件だけでも居酒屋はちょっと厳しそうだった。
やっぱり駄目かと思うのだが、職人の鈴木さんはともかく赤木さんと山ちゃんとの双方と関係をよくしておかねばこの職場では長続きしない。そう思えばこそだったが、どうやらそれは難しそうだった。今はどこへ行っても働きやすい職場を見つけるのは難しい。だから、我慢はなるべくしなくちゃならないと、片方ではそう言い聞かせていた。同じ仕事をするにしても和のあるところとそうでないところとでは何事も雲泥の差だ。仕事のしやすさもあるだろうしあがってくる品物の出来だって違ってくるだろう。幸平の目からみてもここの品物の出来はあまり良いとは言えなかった。どうみてもプロの手際とは思えない。赤木さんをくどくどと𠮟りつけるほど専務に経験があるなら専務自身がしっかりと品質管理をすればよいのだった。しかし彼にそんな神経は備わっていないようだった。作業をしながらも、そのことばかり考えていた。我慢するのか、早く別を探した方が良いのか…。
そんなとき、赤木さんがまた専務に呼ばれた。返品を食らって戻ってきたのだ。専務は顔を真っ赤にしていた。破裂寸前のフグのような顔になって赤木さんを怒鳴りつけた。
赤木さんの態度も以前と同じだった。それを真剣に受け止める様子がない。ポケットに手を突っ込んでブラブラとスーパーの店内でも歩くような雰囲気だった。顔も完全に背けている。むしろ専務を馬鹿にしているようにも見える。
「聞いてんのか!」
専務の怒鳴り声は以前より大きかった。