雨霞 あめがすみ

過去に書き溜めたものを小説にするでもなくストーリーを纏めるでもなく公開します。

水色の日傘 20

強いライナー性の打球がライン上を飛んだ。誰もがヒットだと思った。しかし井筒は咄嗟にライン側に移動し、ジャンプしてこれを捕った。動作が事も無げだったので、あまり動いたようには見えなかった。しかしこれまで守っていた黒田であったら、打球の勢いに押されてグラブを出すのが遅れたかも知れない。

徳田は走りかけて止まった。そんなはずはないとでも言いたげな顔をして、戻るときも一度二度振り返って井筒を見た。先程の守備もある。きょうまで一度も見かけたことがなかったあいつは、ちょっと違うなと、そんな認識を持ったに違いない。井筒は井筒で、徳田はアウトコースも弱くなさそうだと判断を切り替えたかも知れない。

「アウト、ワンアウト!」

私が宣する前に中学生が大きな声で宣した。こんな分かりきったところでジャッジしなくても、余計なことをしてくれると、内心思った。

キャッチャーの長谷川が五番の打席に着いた。私は、案外こいつが鍵になるような気がしてならないのだった。

 萩野がひと声かけた。

「長谷川、一発デカイの行けや、お前やったら打って当然や、俺も嬉しいがな」

長谷川を褒め上げて萩野はいったい何を目論んでいるのだろうか。その気にさせて大振りさせるつもりだろうか。徳田に聞こえよがしなので、他の狙いもあるかも知れない。

しかし長谷川はあまり反応しない。「そうか、おおきに」と言ったきりで萩野を見もしない。そういう性格なのだろう。

橋田は前回打たれているので、少し用心気味に外から入った。高さもコースも外れた。

押さえろ押さえろとジェスチャーをして萩野はボールを返した。

二球目はインコースのやはり高め。ボール。長谷川は悠々と見送った。

萩野がまた囁いた。

「お前、この前も本当はホームランやったのにゆっくり走るもんやから三塁打やったな、まあ、無理して走らん方がええけどな」

長谷川はここでようやく反応した。「いちいち煩いなお前…」

私はひと言注意した。「萩野、ゲームに集中するように」

三球目、橋田は山なりのカーブを投げた。これも外へ流れてボール。

「ええのやええのや、ドンマイドンマイ」

萩野が声をはりあげた。長谷川とは無理に勝負しないのかも知れない。

四球目も高めに外れて長谷川はファーボールで歩いた。ワンアウト一塁。

 

六番センター高田は打力は並みのちょい上だが足が速い。

萩野がまた囁いた。

「おお、韋駄天高田のお出ましや、内野安打の高田さん、ムーのマンダの海底軍艦。今塁審やってもろてる中学生な、なんでもさっき聞いたら陸上部らしいで、今から引っ張ってもらえや」

高田は変な目つきで萩野を見た。

「なに言うてんねんお前、ムーのマンダてなんやねん」

「いつか映画に出てきよったやんけ、ムーノマンダや。ナイヤアンダと似たようなもんやがな」

 

注)海底軍艦。1963年の東宝の正月映画。ムー大陸の守護神のような龍が登場。海底軍艦の冷凍光線によって退治される。名前をマンダと言った。ムーの女王の雰囲気が凄かった映画です。

 

高田は呆れたように吐いた。「ケッ!」

私は再び注意した「萩野、ゲームに集中…」

「わかったわかった」萩野は手で制した。

 高田は一球目インコース高めを見送って二球目のほぼ真ん中のストレートを振ったがセカンドゴロになった。野球センスの良い福永がこれを捕ってそのままセカンドベースを踏んでファーストへ投げたが、塁審の中学生はセーフの判定をした。長谷川がセカンドでアウトになって足の速い高田がファーストに残る形になった。ツーアウト走者一塁。

 

七番のライト岸下がボックスに入った。

またも萩野が囁いた。「出ました岸下脇の下」

岸下が萩野をジロッと見た。「なんや脇の下て」

「お前は肩が強い。立派なもんや、きっと脇の下がええんやろな」

「お前、なんか変やで」

「そうかおおきに」

萩野はしろっとして構えた。どうやら萩野は囁き倒して三組の集中力を削ごうと企んでいるようだった。

しかし岸下は二球見送った後の三球目のインコースを振って、三遊間をゴロで抜くヒットになった。ショートがないのでやや空いているところを抜けた。レフトの太田がこれを捕ってサードに返球。高田はサードに走りかけたが止まった。

ツーアウト一二塁。

「さすがにな、小振りやけど打ちよるわい」

塁に走者が二人いるのに、何故か萩野は豪快に笑った。ここでもし一点取られてもどうということはないとの考えだろう。きょうの四組は結構打てると判断しているようだ。

 

八番ピッチャーの福田は打ち気満々でボックスに入った。ツーアウトだがチャンスだった。

三組女子から応援が飛んだ。「福田くーん、一発行きや!」

小学生女子から「一発行きや」と声援が飛んだのだ。福田が女子から声援をもらうなど残りの人生であるとは思えなかった。

またしても萩野が囁いた。

「ええ声飛んでるがな、一発行きや言うてるで、ここで打ったら男や」そして付け足した。「後は萎んで人生終わりや」

福田は反応しない。意識して無視していた。しかし打ち気満々で高揚していた。橋田の躱し気味のカーブを二球続けて空振りした。

「どないしたんや福田、打ちやすい球やったのに」

萩野に言われても福田はぶすっとしていた。どうやら集中力は散らされているようだった。

「タイム!」

浅丘が駆け寄って福田を呼んだ。

ボソボソと浅丘が呟く。

「もっと球よう見いや、気持ちが空振りしてるがな」

「萩野が煩いんや」

「あんなもんにイライラしたら思うつぼやがな、それより、球をよう見てバチッと当てるんや。四組はその作戦で来とるんや、うちもそれでやったらええ」

「そやけど…」

「ええからええから、とにかくバチッと当ててるんや、後は成り行きでええ」

言ってから浅丘は福田の尻をポンと叩いた。

萩野が訊いた。「何言うとったんや」

福田がやり返した。「アホかお前、なんで言わなあかんねん」

「へへ、それもそや」萩野はゲラゲラ笑った。

福田は小声で呟いた。「煩いやっちゃでほんまに…」

「おい、プレー行くで」私は二人に即した。

「萩野も適当に黙るように」

「あー、わかったわかった、浜田主審」

ニヤニヤしながら萩野は腰を降ろした。

続きます。