橋田は腰を曲げて、膝に手をついたまま何事か考えているのかしばらく動かない。
萩野も構えたままじっと動かない。
徳田が焦れた。タイム!
「長いやんけ」言いつつ徳田は私を睨んだ。
私は橋田に向かって叫んだ。「早く投げるように」
「焦らせてもあかんで、俺には通じひんで」
徳田は言いつつ、ボックスから外れて二度三度素振りをくれた。いかにも格好を決めていて、水口の前だとは言え、いよいよ嫌らしい感じだ。
「プレー!」
徳田は構え直した。橋田はようやく振りかぶって投げた、と思ったら徳田の頭の上を行くような暴投。徳田は「うわっ!」と悲鳴をあげてしゃがみ、萩野が飛び上がってどうにかこれを捕った。
徳田は起き上がって橋田にきつい視線を投げつけたが、投げた橋田はマウンド付近で転がっていた。
「痛ったぁああ…」
私はタイムをかけて、萩野が橋田の元に駆け寄った。「どないしたんや!」
橋田は泣くように言う「あかん、投げる瞬間に足攣ってもたんや」
「なんやて、どの辺や」言いつつ萩野は橋田の左足を揉んだ。
私も駆け寄った。どうも演技臭いとは思いつつ。
徳田ものそのそとやってきた。皆も集まってきた。
徳田も既に嘘くさいと睨んでいた。萩野の股ぐらの件も変だった。
「お前ら、なんか変やで」
と言うものの、本当にアクシデントなら怒るわけには行かない。
「変て何やねんな、こっちは痛い痛いしてるのに」
大袈裟に顔をしかめる橋田だ。
徳田は横を向いて唾を吐いた。「あほらし」
萩野が足首を揉んだ。「もしかして捻挫してへんやろな」
徳田が振り返った。「それやったらピッチャー交代せえや」
「冷たいこと言うたんなや、今日のために橋田は結構練習したんやで」
萩野は徳田の肩を軽く叩きながら宥めた。井筒が無言でこれを眺めた。
両組の女子たちもどうしたのかと思いつつ眺めていた。とそこへ、水口とくっついていた坊主頭の中学生が駆け寄ってきた。
「なんやなんやお前ら、どうしたんや」
私はわざと徳田に聞えよがしに言った。
「あ、水口っちゃんの知り合いの人ですね、きょうはよう観に来てくれはって…」
「わっはっは、ええのやそんな挨拶は。俺は陸上部なんや、怪我には詳しいで」言いながら橋田の前に座った。
「どれ」
中学生は橋田の足を掴んで揉んだ。橋田は慌てた。
「ええんですええんです、もう治りました」
「なんやもう治ったんかいや、えらい簡単やな。それでもまあ一応見たろ」
中学生は橋田の左足をさすったり揉んだりしていたが、すっくと立って言った。
「なんでもないがな、大丈夫や」
徳田は敵意を含んだような目つきで中学生を見つめていた。水口のいとこだけあってなかなか男前なのだ。徳田は彼が水口のいことだとはまだ知らない
「おい審判。主審ひとりやったら大変やろ、良かったら手伝うたろか」
「え、ほんまですか、それやったら塁審してもらえますか。副審が今行方不明で困ってたんです」
「なんやそれ、無責任な奴っちゃな。分かった分かった、一塁から三塁まで皆見たるがな」
私は中学生の申し出をありがたく受けることにした。皆異論はなかった。ひとり徳田だけがブスッとしていた。
「ほな行くで、先頭バッター徳田のワンボールからや」
皆ぞろぞろと位置に戻った。橋田はまだ肩を揺らしたり片足持ち上げてグネグネやったりしている。
徳田が構えながら呟いた。「いつまでやっとんのやアホが…」
二球目、橋田の投球はカーブだった。曲がるままに外へ流れた。ボール。
最悪徳田は歩かせても良い。こいつにホームランを打たせることだけは絶対に避けるのだと橋田は決めていた。
三球目も外に来た。ストレートだがワンバウンドに近い低めだ。萩野が抑え込むようにこれを捕った。ボール。
徳田はボックスを外して素振りをくれながら呟いた。
「なんやお前ら、前に打たれたんがそんなに堪えたんかい、もう真ん中に放ってくる度胸ないんか」
萩野が言い返した。「そない言うたんなや、たった今足攣ったばっかりやがな」
徳田は鼻で笑った。ふん…。
四球目はインコースに来た。高さは手頃だったがコースは微妙だった。
打つことしか考えていない徳田はスリーボールでも見逃さない。ちょっと腰を引くようにしてぶん回すように振ったが、ミスった。足元近くにバウンドして、球は外へ転がった。
カウントワンスリー。
この時、私はファーストの井筒をそっと見た。物静かにしているが、もしかしたら井筒がなにか指示しているかも知れないと思った。
しかし別にそんな気配はなかった。もとより小学生の草野球で高度なサインプレーなどあろうはずがないのだが、井筒のことだった。
五球目、今度は揺さぶるようにストレートが外へ来たが、徳田は予想していたように振った。長く持ったバットの先に当たったが、パツン!と音がして、さすがに徳田だけあって鋭いライナーがファーストに飛んだ。
皆ハッとして打球の先を見つめた。
続きます。