雨霞 あめがすみ

過去に書き溜めたものを小説にするでもなくストーリーを纏めるでもなく公開します。

水色の日傘--54

「ぼんはもう二年生か」

ちょっとの間中空を睨んで何か考えていた工場長が無関係な話でもするように訊いた。

「そうです」

「やったら大丈夫かな」

「なにがです」

工場長はしばらく考えながらタコ焼きを呑み込んでからおもむろに語り始めた。

「実はな、わしはあのかき氷のお母さん知ってるんや」

「え、ほんまですか」

「見覚えあるなとあの時も思うたけどな」

 

工場長が語るには、どうやらママさんは私が一時住んでいた安アパートに夫婦で住んでいたらしい。

「あの辺に割と大きな広場を抱えたアパートがあってな、元は軍関係の何かの部品作ってる工場やったと聞いてるけど、そこを戦後アパートに改造したんや。屋根が工場やった当時のままでな、ギザギザしとったから皆ノコギリ荘と呼んでたんやが」

「そこ、知ってます。僕が以前住んでたアパートです」

「ほんまかいな」

工場長はビックリしたが、ビックリしたのは私も同じだった。

「一番端っこの、端っこやからその部屋だけ窓があってな」

「そうです。あそこ元は軍の工場やったんで、そこをベニヤで幾つか仕切っただけで部屋の一々に窓なんかなかったと聞いてます」

「そやそや、そこに新婚の夫婦で入ってきはったんや」

「え、ちょっと待ってください、広場に面して窓のある端っこの部屋は確か二つあったんです。ぼくとこと廊下を挟んだ向かいです」

「広場から眺めて右側やったで」

「え、それやったら僕が住んでた部屋です」

「ほんまかいな」

再び私たちは驚くのだった。こんな偶然があるだろうか。

「すると僕ら家族が引っ越した後にすぐ入ってきはったんですか」

「そうなんやろな」

私は頭の中で当時を思い起こして複雑だった。あのママさんが、涼し気な美人で上品で穏やかで清潔感の漂うあのママさんが、お世辞にも衛生状態が良いとは言えないあんなアパートに住んでいた。

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水色の日傘--53

私はママさんのことが気になったから、もしかしてまた来ていないだろうかと、その後も篠田と公園を訪れたが姿を見ることは遂になかった。そのまま夏が終わった。

こんなことがあったのに篠田とも以後特に親密になることもなく極普通の付き合いになった。元々クラスが違っていたしそれまでは言葉を交わしたこともろくになかったから、それは普通の成り行きだったろう。

この夏を最後に、私の小学生時代の夏の記憶はほぼなくなっている。多分、平凡な日常になってパッとしない日々を過ごしたのだろう。特別記憶に残るようなこともなかったのだと思われる。

中学生になると、もうこの夏の記憶は普段の頭になかった。中学校では私が通った学校ともうひとつ別の小学校の卒業生を統合する形になっていたから、それらがクラス配置されて新たな友達ができた。当初はお互いに様子を窺うような雰囲気だったが、直ぐに打ち解けた。初めて見るような面白い奴も居た。子供はそうやってドンドン別の世界を作っていく。篠田は確か二年生になる頃にどこかへ転校して行ったのだった。

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水色の日傘--52

興行的に大成功だった。きっと三日分くらいの売り上げがあったのではないだろうか。それを思うと嬉しかった。明日はまた会えるのだ。私は、多分篠田もそうに違いないが、ママさんに生意気にも無邪気な恋心を抱いていたのだった。齢と言っても、多分まだ二十歳代だった。スラッとした細面で、今でははっきりしないが、髪を後ろで束ねていた。少なくとも同年齢当時の私のお袋よりは遥かに美人だった。 

篠田とは昼一時過ぎに待ち合わせていた。私は明日の情景を勝手に思い受かべて眠った。ワクワクしてなかなか寝付けなかった。どこに住んでいるのかも知れない。きっと昼食を摂ってから出て来るのだろう。他の公園を回ったりしているのでそう遠くはないはずだ。少なくとも去って行った方向だけはわかる。あちらの方には何があったろうか。

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水色の日傘--51

氷を最後までガリガリやって、結局払いはドンブリ勘定になった。事実上余分に食った奴も居たが、それはもう問わない。主将である萩野と浅丘が「はい集金集金」と言って一人ずつ集めた。悟君と田中君のグループはそっちで払った。十円玉を持たないで出てきた奴も居たが適当に個人間で調整した。

「いやあ、きょうはようけ売れて嬉しいわ、ほんまにありがとうね」

ママさんは子供の頭を撫でながらニコニコしていた。

悟君が弾むように言った。

「楽しかったできょうは、田中と君ちゃんが思いがけんとこで出てきたし」

余計なお世話だと田中君は言い、君ちゃんは空を向いていた。

ママさんはそろそろ帰り支度を始めた。もうちょっと見ててねと言って子供をトイレに連れて行く間に皆ゾロゾロと帰り始めた。

「ほな!」

「ほな!」

と手で合図しながら、連れになるものは連れだってそれぞれの方向に帰って行った。

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水色の日傘--50

来たきたと皆でママさんを迎えた。ママさん戻ってきたよと篠田が子供に語り掛けて一緒にママさんの元に歩み寄った。子供はママさんのスカートをしっかり掴んでちょっと泣き出しそうにしていたが、篠田がそれをしきりになだめていた。

「やっぱりママさんとちょっとでも離れてると寂しいんやな」

篠田はそう言ってママさんの様子を窺った。小学生ばかりと言っても大勢だし中学生も混じっている。それ程の心配はしていなかったろうが、子供の頭を何度か撫でて安心の表情だった。

「ちょっと人数減ったんか」

そのように見えたので篠田に尋ねたら、試合も終わったしで、ママさんを待っている間に女子どものかなりは帰ったらしい。ちょっと残念だと思ったが

「いやあ、ええんとちゃうかそれくらいで」

と篠田は言った。女子の人数は減ってもチームのメンバーは皆居るし水口も君ちゃんも居る。溶けずに残った氷の量を考えると丁度良いくらいかも知れなかった。

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水色の日傘--49

ハアハアと走りながら萩野は私に訊いた。

「あっちの市場、いっちゃん行きやすいのはどの道や」

公園の前のバス停から二つ目の停留所の前に市場がある。自分たちは普段利用しない市場だが、何度かは訪れたことがある。

「どうでも行けるがな。どこ回っても似たようなもんや」

「ほな、どう回るんや」

町内を升目に仕切って道路が走っているからどこを行っても距離は同じだ。しかし道の採りようによってはママさんと入れ違えになる可能性もあった。

「乳母車を押してるんやからいきなりバス通りには出やへんやろ」

「ええ推理や、それくらい頭働かせたらお前の成績ももうちょっと上がるんや」

「よけいなお世話や」

走りながら嫌なことをいう奴だが、どうせ誰がどの程度の成績かなどは大体はバレているからしょうがない。私はすっと話題を変えた。

「それにしてもお前、妙に熱心やないか。もしかしてママさんに気いあるんとちゃうか」

萩野はとぼけた。

「あほ、俺はタダの親切や。子連れでかき氷売ってはる。なんかあるに決まってるやんけ」

「うまいこと言うてからに…」

と言ったが、やはり萩野もそこが気になるのであったろう。美人だが、ママさんの風貌も見ようによっては痛々しいものがないでもなかった。

「気になるのはお前らもいっしょやろ、篠田が大体なにをやってるんや」

「ああ、篠田なあ、困ったもんやあいつも」

別に何も困らなかったがそう言って置くしかなかった。

 

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水色の日傘--48

篠田が弾んで言った。

「ママさん良かったね、氷なくなってしもたけどそれだけ売れたんやもんね」

私は思わず言った。

「あほ、ここからが商売やないけ」

「そやな、予想外の売れ行きやけど、どないしょ」

私は全員を見渡した。女子たちの何人かは、それだったら私たちはもういいとグループになって帰る者も居た。しかし男子が全員残っているしそれに関係する女子たちも残っていた。中学生の田中君と君ちゃんが居るし悟君と水口も居る。まだ結構な人数だ。

 

ママさんが問いかけるように言った。

「ごめんね、でもみんな食べてくれるんやったら今から氷買ってくるけど、どうないしょう」

篠田が素っ頓狂な声をあげた。

「え、今から買いに行くの」

「そんなに遠くないから大丈夫よ、氷屋さんの場所はちゃんとわかってるからね」

そらそや、そらそやと萩野が頷いた。

悟君が提案した。

「そこに居るの、お娘さんですか。それやったら僕らでちゃんと見てるからその間にサッと行ってきはったら」

ママさんは一瞬考えた。子供をここに置いたままはちょっと心配だ。しかし一緒に歩くとなるとかなり時間がかかる。その間にも氷は溶けるだろう。

悟君は続けた。

「大丈夫大丈夫、こいつら小学生やけど、僕ら二人は中学生やし」

そう言って田中君と頷き合った。

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